人生のパートナーを見つけなければ動物にされてしまう・・・。
という恐怖の世界を描いたヨルゴス・ランティモス監督の映画
【ロブスター】
奇想天外な内容だけに
ラストはロブスターになっちゃうの?
この映画のテーマは何かな?
などなど気になるコトも多い作品です。
そこでこの記事では
★映画【ロブスター】の結末
★ラストシーンの解釈
★テーマについて
の内容に着目して一個人の深読み考察をしています。
お悩みのヒントになりますように!
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【ロブスター】あらすじ
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— シネ・リーブル池袋 (@cl_ikebukuro) February 5, 2024
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舞台となるのは配偶者をもたない者は身柄を確保されるという近未来。
独身者は45日間という猶予を与えられた後、
カップルとして成立しなければ動物に変えられてしまうという。
デヴィッドは既婚者であったが、妻に離婚を切り出され、
配偶者を失ったため規則に基づいてホテルに収容されてしまう。
犬にされてしまった兄を連れて施設に入所したデヴィッドは、
パートナーを見つけることに失敗した時には
ロブスターになりたいと答える・・・。
キャスト
コリン・ファレル、レイチェル・ワイズ、レア・セドゥ、
ジョン・C・ライリー、アリアーヌ・ラベド 他
以下、作品のネタバレを含みます。
本記事の情報は2024年2月時点のものです。
最新の配信状況は各サイトにてご確認くださいませ。
映画『ロブスター』の結末
デヴィッドは自分を偽ることでパートナーを見つけますが
愛するふりは長続きせず、成立には至りませんでした。
ロブスターにされる前にホテルを逃げ出したデヴィッドが辿り着いた
のは、ホテルとは真逆の『恋愛が禁止』されたコミュニティでした。
しかしそこでは皮肉にも恋に落ちてしまったデヴィッドは
自分との共通点を持ち恋人となった近視の女性と逃げることを決意します。
ところがデヴィッドたちの計画はコミュニティのリーダーの
知るところになってしまい、近視の女性はリーダーによって
視力を奪われてしまいました。
映画『ロブスター』のラストシーン
視力を奪われた女性との間に共通点を失ったデヴィッド。
彼女への愛情が薄れる中、それでも二人で逃げるべく、
リーダーを襲い、穴に落として逃走するデビッドと近視女性。
この先は二人で仲良く暮らすのか?と思われた矢先に不穏な空気が
流れます。
本作では恋に落ちる要素として『共通点』がカギを握っていました。
つまりは視力を奪われた女性と再び共通点を持つために、
デヴィッドもまた自ら視力を無くすという選択が
二人の間で持ち上がるのです。
そうしてデヴィッドは1人でレストルームの鏡に向かって
自らの光を遮断しようとするのでした・・・。
映画『ロブスター』のラストシーンの解釈
残酷な決意をしたカップルは、女性はテーブルの席で彼を待ち、
デヴィッドは自分の視力を奪うためにレストルームで
自分との格闘をしているという場面で幕を閉じるラストシーン。
実はデヴィッドが本当に視力を捨てたのかどうかは
描かれていないのですよね。
それ故にこの場面の解釈には2通り存在するのだと思います。
彼女のために、自分も視力を捨てたという説と
それが出来ずに逃げ出したという説。
主人公の選択肢
ラストシーンでの2人は対照的でした。
テーブル席で再び彼女との共通点を持って戻ってくるはずの彼を待つ
女性の表情はどこか幸せそうにも見えました。
一方で、自らの恐怖や葛藤と向き合うデヴィッドの表情は
歪んで曇っていました。
そしてデヴィッドは鏡に映るそんな自分の顔を見て
ふと気が付くのではないでしょうか。
今、自分に求められているのは愛情ではないことを。
あの薄情な女性が愛情を確かめるためにしたこと(犬になった兄を犠牲にした)
と大差ないのではないか?と。
ということで筆者はデヴィッドが自分を犠牲にしない
という結末になるのではないかと思いました。
〖ロブスター〗になりたい理由
デヴィッドがなりたい動物に〖ロブスター〗を挙げた理由は
100年という長生きが出来ることと、
生きている間、生殖行動が可能なこと、そして海が好きだからです。
つまりはそれらがデヴィッドの本音なのです。
だからデヴィッドは
彼女の愛情に疑問を感じたとしても、
共通点を無くし愛情が薄れたとしても、
できるだけ長く生き延びるという自身の希望のために、
犠牲を払うことなく、視力を無くしたふりをしてテーブルに戻ると推察します。
そして海の近くで2人で暮らすのではないでしょうか。
映画『ロブスター』に込められたメッセージ
本作の未解明なラストを観客に贈った理由は
見る人に、愛情の意味をなげかけたのではないでしょうか。
映画が描く愛、自由、人間について
劇中では恋愛に落ちるのには『共通点』がカギになっていました。
そのため鼻血が出てしまう女性と恋に落ちたい男性は
自分を怪我させることで鼻血を出し、共通点を偽装しました。
デヴィッドもまた自らも冷たい人間を偽装して見た目がタイプの
ショートカットの薄情な女性とカップルになろうとしました。
しかし恋愛感情があるふりや、
薄情な女性にされた酷い仕打ちに対する悲痛な思い
まで偽装するのは難しく、
そこに自由な恋愛は存在しませんでした。
そのことから共通点の偽装に嫌悪し、
ルールにあらがい自由を求めたデヴィッドは
その施設から脱走します。
そのはずが、
コミュニティにおいても
〖近視〗という共通点にひきよせられてしまうのです。
ルールから解き放たれ自由を望んでいたはずなのに。
人間とは何て複雑な生き物なのでしょうか。
愛と犠牲がテーマ
人は相手の愛情を確かめるために目に見えるものに
重きを置きがちなのかもしれません。
自分のためにどれだけの犠牲を払ってくれるのか。
その犠牲が大きいほど、愛されているという実感も
大きいのでしょうか。
近視の女性はコミュニティのリーダーに
視力を奪われた際に、
何故彼ではなく自分なのか?
と口に出します。
この発言はデヴィッドを思う気持ちよりも自己愛の方が重い
ことを表しているとともに、
彼の代わりに自分が犠牲になったと
感じている証と言えるでしょう。
それ故にデヴィッドが自らの視力を差し出すという犠牲
を払おうとするのを引き止めなかったのです。
犠牲の大きさで量る愛情。
もしもそんな基準を重視するような恋愛なら
しんどいものになります。
愛情とは〖相手の幸せを願うこと〗
であって欲しいという願いが込められているのでは
ないでしょうか。
自由な動物と不自由な人間
本作で相手を見つけることが出来ずに結局動物になってしまった人
こそ、実は本当の愛について理解していた人なのかもしれません。
共通点を偽装して懸命にアプローチする人も
その偽装に気付きながらも目をつむって受け入れる人も
カップルとして成立し、孤独から抜け出し、ルール違反を犯すこともなく
生を全うしているかのように見える人間たち。
しかしながらその関係は
森の中に住む独身者のコミュニティの策略によって
ほんの数分の間に壊れてしまうのです。
それはそこに愛情が存在しないからに他なりません。
一方で動物になった人たちは
妥協や偽装をすることなく自分に正直で
心からの絆を求めていたと言えるのではないでしょうか。
共通点などに縛られることなく本能で愛情を感じられる
相手を。
動物を管理する側にいるはずの人間。
しかし、ルールや思い込みや常識といった
決まり事にがんじがらめになり抑圧されているのは
むしろ人間の方なのかもしれません。