世界の中でも最初に超高齢化社会を迎えるであろうと言われている日本。
作中ではその対策として国が用意したのは
あまりにも無情で残酷な制度だった。
本作のタイトルにもなっている
【PLAN75】
75歳以上になった者は生きるかどうかを選択できるという制度。
この物語の中では
この選択を検討する当事者たち。
この制度に携わる若者たち。
この制度が発足された日本で働く海外の人。
彼らの視点から描かれています。
この記事では
それぞれの立場の人たちがどのような結末を迎えたのか
解説・推察をしています。
【PLAN75】あらすじ
・:*+.映画『PLAN 75』
— 映画『PLAN 75』公式/Prime Video独占配信中/Blu-ray&DVD 4.26発売 (@PLAN75movie) January 23, 2023
2月17日(金)よりPrime Videoにて独占配信決定・:*+.
劇場で見られていない方も
見て頂いた方にはもう一度
是非、#PLAN75をご覧ください!#倍賞千恵子 #磯村勇斗 #たかお鷹 #河合優実 #ステファニー・アリアン#早川千絵#アマプラ pic.twitter.com/uzl4SHkWIx
超高齢化社会となった近未来の日本では、
75歳以上の人には『生』か『死』かを自ら選択できるという
〖PLAN75〗と呼ばれる制度が国会で可決され施行された。
角谷ミチは未亡人で子どももなく、1人暮らしをしながら、
ホテルの清掃員として働いていた。
同じように清掃員として働く仲間がおり、
関係も良好で自宅を行き来するような同僚もいたが
ある日、仕事中にその同僚が倒れてしまう。
その一件から、高齢者を雇うことに
不安を覚えたホテル側によってミチたち高齢者は
解雇されてしまう。
それまでPLAN75の制度には疑念を抱いていたミチだったが
選択について考えるようになる・・・。
キャスト
倍賞千恵子、磯村勇斗、河合優実、ステファニー・アリアン 他
【PLAN75】を視聴するには
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未視聴の方はご注意くださいませ。
本記事の情報は2024年3月時点のものです。
最新の配信状況は各サイトにてご確認くださいませ。
【PLAN75】ミチの結末
本作の主人公・角谷ミチは78歳。
家族もおらず高齢のミチにとって
突然の解雇は厳しいものでした。
新しい仕事は一向に見つからず、
賃貸契約を結んでくれるところもなく、
仕事と住む場所を失い途方に暮れてしまいます。
そして、とうとう疑念を抱いていたあの制度
へと手を伸ばしてしまうのです。
ミチが心変わりした理由
ミチはPLAN75の制度を受け入れ、
自らの人生を終わらせる決意をしますが、
最後の最後で心変わりをし、施設を抜け出します。
ミチの心変わりの裏にはどんな心境があったのでしょうか。
ミチは制度のサポートを担当する成宮瑶子と出会い、
電話で話すだけではなく実際に会って心を通わせていました。
自身の子どもや孫ほどの年齢の瑶子との会話は楽しく、
ミチの時間を明るくしてくれました。
人との新しい出会いは人生に刺激を与えてくれます。
こんな世界でも楽しいことはある。
そんな実感がわいたのではないでしょうか。
と同時に、隣で息をひきとるヒロムの叔父の姿を
目の当たりにしてしまったことで恐怖と共に
〖生きたい〗という自分の本当の感情が
沸き上がってきたように思います。
ミチの酸素マスクに何も流れてこないというアクシデントは
ミチの心変わりを後押しするチャンスになりました。
【PLAN75】に携わる若者たち
制度の申し込み窓口の職員である岡部ヒロム。
そして制度に申し込みをした高齢者たちをサポートする業務を担う
成宮瑶子。
共に、仕事として事務的に向き合っていた二人。
若い2人にとっては人生が終わるという想像すら
わかないことなのかもしれません。
あくまで仕事として、そこに感情移入することはなく
取り組んできた二人だったように思います。
しかしヒロムは自分の親族である叔父が申し込みに
訪れてしまい初めて自分に関係のあることとして向き合うことに
なります。
遥子もまた、電話口で話していただけの業務を逸脱して
実際にミチに会ったのには深い意味はなかったのかもしれません。
しかし実際本人を目の前にし、話を聞いていくうちに、
自らの命を絶つという決断をするミチに
複雑な感情を抱き始めます。
制度の実態と変化する感情
20年も連絡が途絶えていた叔父。
しかしヒロムは幼少の頃に父親を失くしており、
叔父とはこれを機に交流を育みたいように見えました。
しかし、叔父の制度への決意を止めることはできませんでした。
そんな中、この制度により命を落とした高齢者たちが
その後産業廃棄物の会社によって葬られている実態を目の当たり
にしてしまいます。
叔父の施工の日に、施設まで送り届けたヒロムでしたが
やはりこんな制度は間違っている。
その思いは確信になり、叔父を救いに施設へと急ぎました。
しかしながら時は既に遅く叔父は帰らぬ人となっていました。
ならばせめて自分の手で暖かく見送ってあげたいと
考えたヒロムは施設から叔父を運び出すことを実行します。
遥子に起こった心境の変化
遥子の家庭事情は描かれていませんが、
ミチの年齢は母親とか祖母に等しいものでしょう。
核家族が増えている中で、
ミチとの交流は遥子にとってもまた新鮮でありながら同時に、
懐かしいものだったのかもしれません。
そんな折、職場の休憩室で研修の内容を聞いてしまいます。
教官らしき人物の話は、制度への参加を決めた高齢者が
心変わりしないようにしっかりサポートするよう仰ぐものでした。
遥子の仕事の目的とはそういうことなのです。
つまり遥子にとっては楽しく交流したミチの
人生を終わらせるために尽力するということ。
改めて突き付けられた内容は
間接的に実行のほう助をしている感覚を覚えるものだったのかもしれません。
最後の電話ではミチとの会話に涙をこらえきれず
逆に冷たい態度で淡々と電話を切った遥子。
しかしその後、自分の携帯からミチの自宅に
連絡を入れるのです。
何度コールがなっても諦めることなく・・・。
心のこもった挨拶をするためでしょうか。
それとも引き止めようとしていたのでしょうか。
しかし既に電話線を抜き、段ボールに電話をしまいこむ
ミチの姿が映しだされます。
遥子は思ったのではないでしょうか。
二度とこんな思いはしたくない・・・と。
日本で働くマリア
マリアが家族と離れて日本で働く理由。
それは彼女の娘を難病から救うためでした。
そのために大金が必要なマリアは
給料の良いPLAN75の関連施設で働くことになります。
業務は施設で人生を終えた高齢者たちの
私物などを処分すること。
マリアがいつものように業務を行っていたある日、
叔父の亡骸を運びだそうとしていたヒロムに出会います。
てまどうヒロムにマリアが手を貸したことで
ヒロムは無事に運びだすことには成功しました。
運び出している現場を目撃されれば
給料の良いその仕事は続けられなかったかもしれません。
それでも後先を顧みず、手を貸しのはマリアには
潜在的にこの制度に嫌悪の感情があったからではないでしょうか。
自分は命を救うために懸命に働いている。
愛する娘とも離れ離れになって。
その一方で自らの命を諦める健康な人がいる・・・。
その事実に憤りを感じていたとしても
何ら不思議なことではありません。
【PLAN75】が問いかけること
ズバリ
〖こんな社会になってもいいんですか?〗
ということではないでしょうか。
このまま何もせずに他人のことは考えずに
生きていたらいつか残酷な未来がやってくるかもしれない。
一人一人が考えたり、思いやりをもったり
出来ることから始める・・・
そんな小さな一歩が可能性を広げる要因になるかもしれない。
そのためには、日本に住む全ての人に
知ってもらいたい。
諦めなければ変化は起こる可能性
は充分にあるということを。
そんなメッセージが込められている
気がしました。
ラストシーンが持つ意味とは?
施設を抜け出してふらつきながら歩き出すミチの
行く先には綺麗な夕日の光景がありました。
そんな夕日を眺めながら幕を閉じる本作。
そのラストシーンが持つ意味とは何だったのでしょうか。
答えは鑑賞した人の心のみぞ知ることなのでしょう。
筆者はミチが『生きていく』と決めた強い意思と希望を
受け取りました。
〖夕日〗というのは再生の象徴でもあるんですよね。
綺麗な夕日に出会うと、
つい足を止めて眺めたくなります。
有名な観光地なんかでは皆がみとれてしまい
大渋滞になることも。
それはやはり夕日が
今日、どんなに打ちのめされようとも
明るい明日を導く希望のような
象徴だからなのではないでしょうか。
ミチの行く先には今後も困難が多発するのでしょう。
しかし、身寄りがないからといって
ミチと同じ境遇の人が存在しないわけではありません。
この制度に疑問を抱き始める若者たちも
描かれています。
まだ変わって行ける可能性は秘めているのです。
【PLAN75】を見た感想
高齢化社会は誰にとっても関係のないことではないんですよね。
いつかはやってくる自分の未来なのですから。
そう考えながら見ると非常に怖い映画だと思いました。
そんな中、某ファーストフード店で働く高齢者のスタッフさん
からは本当に勇気を貰えます。
仕事も手際が良くて、にこやかで気の利いた対応をして貰えて
気分よく店を後にすることが出来たのを覚えています。
社会は、時代は変わるのですから、
働く制度も変化していってもよいですよね。
誰しもが生きることが辛くない世の中に
なるといいですね。
今は高齢化社会に対して傍観者だとしても
それが我が身のこととなる日は必ずやってくる。
やはり傍観者でいること
に徹してはいけないのかもしれません。
どうしようもなく絶望感に打ちひしがれてしまった時は
夕日を見に行こうと思える一作です。