劇場版【Dr.コトー診療所】ラストシーンをネタバレ考察|コトー先生の最後は?

邦画
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ドラマの第1期が2003年にフジテレビ系で放送されていた
Dr.コトー診療所】が劇場版として帰ってきた本作。

映画の公開当時は約16年ぶりとあって、出演者の皆さまは
大人になられていましたが、主題歌と共に色あせることはなく
映し出される広大な自然と輝く海が今もなお眩しい作品でした。

しかしそんな本作のラストシーンが物議を醸しだしています。

あのラストはどう解釈すればいいの?

そんな気になるコトに着目し
ラストの解釈を深読み考察しています。

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劇場版【Dr.コトー診療所】あらすじ

志木那島という日本の西端に存在する美しい孤島。
そこへは本土からの飛行機もなくフェリーで6時間かけて
行くしかない。

そこへ19年前に東京の病院を去りやってきたDr.コトーこと五島健助
長い年月の中で紆余曲折あった後、
いまや島民との間の絆は深く絶大な信頼を得ながら、
たった一人で島民の健康を担ってきた。

私生活においては看護師としてコトーの傍で働いてきた
星野彩佳と結婚し、妻のお腹には新しい生命も宿っていた。
コトーが父親になるまであとわずかである。

そんなコトー先生の診療所はコトー夫妻と若い看護師の西野
で切り盛りされていた。
そこへ東京から研修を受けにやって来たのは大病院の御曹司
織田判斗医師だった。

そんな折、未来を見据えた近隣の島との医療統合の話が持ち上がり、
その拠点にコトーに赴任して欲しいと打診される。

それは島を出ることを意味していた。
その返事にコトーは即答できない理由があった・・・。

キャスト
吉岡秀隆、柴咲コウ、時任三郎、大塚寧々、高橋海人、生田絵梨花
神木隆之介、蒼井優、伊藤歩、堺雅人、大森南朋、朝加真由美、
富岡涼、泉谷しげる、筧利夫、小林薫 

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以下、作品のネタバレを含みます。
未視聴の方はご注意くださいませ。

コトー先生の結末のシナリオを深読み考察

映画を見た人が最も驚愕したシーン。
それはラストの懸命のオペを終えたコトー先生が
彩佳の元へ行き、安心したように手の力がぬけ意識を失う
場面ではないでしょうか。

コトー先生は一体どうなったのでしょうか?

本記事では2通りのシナリオを深読み考察してみました。

コトー先生は燃え尽きた説

映画を素直に見た時に最も多い解釈が
コトー先生は燃え尽きたのではないかというものではないでしょうか。

散りばめられた伏線と共に振り返りたいと思います。

★病状について鳴海医師(堺雅人)が一刻を争うとしている。
彩佳の母が島に残る意思が強いコトーに『生きて欲しい』と願う。
★嵐の夜の異変(鼻血、充血、意識を失う、マスクに血が滲む)
美登里(助産婦)に彩佳出産を託す。〖その時自分が不在であることを匂わせる〗
美登里のオペ終了後のコトーの顔が映し出されない
★ラストの未来映像のヒカリが〖幻想〗であることを示唆している。
★ラストで赤ちゃんとコトー先生の視線が合わないのは存在する世界が違うから。

以上のことを踏まえると
★治療のために島民を置いて出ていくことを拒むコトー先生の意志を
確信する鳴海が冷静さを失い説得している姿は事の重大さを表しています。

★義母の台詞はコトーが島に残るということは〖生きることを諦める〗
という示唆なのかもしれません。

★鼻血、充血、マスクに滲んだ血など、多量の出血は死を連想させます。

〖自分の身体のことはある程度わかる〗と言ったコトーが
助産婦さんに彩佳の出産時、自分が居ないかもしれないと告げました。

★血を滲ませながらの美登里のオペの後、後ろ姿しか映し出されなかった
コトーの顔は真っ赤に染まりひどいものだったのではないでしょうか。

★〖幻想〗を連想させるヒカリに包まれたラストシーン。
そこにはコトーと彩佳の赤ちゃんを囲んだ光景が描かれていました。

それは自分の命と引き換えに、実現した未来の光景だったのではないでしょうか。
コトーが島に残らなければ、あの台風の夜に失われた命は多数あったでしょう。

その中に彩佳のお腹の子も含まれていたのかもしれません。

〖僕が彩佳と赤ちゃんのことを考えないと思うのか?〗


と泣きながら言ったコトーの言葉。

実は島を離れられない最大の理由が実は彩佳であったという伏線
なのではないかと思いました。

そして自分の命を賭けて残ったからには島の全員の命を
救いたい・・・それが医師として救える命があるのに救わないくらいならば
医師である意味がないと思うコトーという1人の住民としての信念
だったのでしょう。

そしてコトー医師は大勢の命を救って旅立ちました。

コトー先生が居なければ起こり得なかった未来
ラストの場面なのではないかと思いました。

コトー先生は自分と引き換えに、大切にしていた命を
繋いだのです。

〖生きている〗という明言

原作者の先生が〖コトー先生は生きている〗と明言されたという
記事もありました。

その言葉も深読みすると・・・

その後に作者の先生が公言された新しい構想があると言われたのですが
その内容は、Dr.コトー診療所ゼロ

診療所に来る前の3年間を描いたもので、未来ではなく過去のお話
であるということです。

更に、主演の吉岡秀隆さんは舞台挨拶の場で

僕が五島健助として白衣を着るのはこれきり

だと公言し、最後のコトーであると共にこの物語の魅力が
〖継承〗であることも明かされています。

つまりコトー先生は〖視聴者の中に〗生きている
ということであり、
コトー先生の意思は生き続けて、判斗や剛洋に、はたまたコトーの子に
継承されていくのだという裏の意味にとることも
できるのではないでしょうか。

生きている証

とはいえ、島民全員を助けるため、自らの犠牲も辞さない
コトー先生だけが命を失うラストはあまりにも残酷すぎますよね。

そこで生きている伏線を探してみました。

★台風の夜、自衛隊への要請がかけられている
→それに伴い鳴海(もしくは坂野など)もコトーの搬送を要請していた。
★キャッチコピー〖そしてここで生きている

オペが終わり意識を失ったコトー先生を呼ぶ声が小さくなりながら
場面が変わります。

実はあの時、診療所に救助のヘリが到着し、
鳴海(もしくは坂野あたり)の要請によりコトー先生を搬送する
準備が整ったことを知らせ呼びに行った描写だった可能性も。

そうして緊急搬送されたコトー先生は一命を取り留めましたが、
何等かの後遺症が残り、すぐに医師として復帰するのは困難であり、
判斗か剛洋にコトー診療所を継承するため指導医として
診療所に残っている。

そのため住民との親交を深める往診は判斗がその役目を
担っているという描写のラスト。

〖そしてここで生きている〗
というキャッチコピーは、『視聴者の心の中に生きている』
捉えることもできますが、ハッピーエンドならば
足を負傷した剛利が漁師として復帰することを諦めなかったように
コトー先生もまた、諦めずに
〖ここ(島)で生きていると捉えることもできますね。

原作漫画『Dr.コトー診療所』はコチラ

まとめと感想

コトー先生の集大成が描かれた劇場版は
その結末に驚かされました。

長年ドラマシリーズのファンであった人ならば
願わずにはいられないハッピーエンド。

もしもコトー先生の命が燃え尽きたのなら
それは島民の命と大切な家族を守るために起きたこと。

逆に自分の治療を優先し、島民が多数の命を落としたり
彩佳や赤ちゃんの身に何か起こっていたら自責の念に駆られて
いたかもしれません。

一方で自身の病気や島民の命が脅かされるなかで
諦めずに懸命に信念を貫いた結果、島民全員を救うことに成功し、
自身も治療を経て島に戻って暮らしている・・・というハッピーエンド
だったと捉えることも出来ると思います。

筆者は自身が病気がちなため医療ドラマは苦手なのですが
この『Dr.コトー診療所』が例外に入るのは、
物語で描かれる人を思う心、諦めない心、生きるという事、等を通して
不安に怯えてくじけそうな今日を励まされているかのようで、
精一杯前を向いて歩いて行けばその先には
幸運に溢れる明日が待っているような、
そんな希望が描かれているからなのかもしれません。

本作をもって吉岡秀隆版コトー先生の物語は
終結したといえるでしょう。

オペを終えたコトー先生の背中に深々と頭を下げた判斗のように
コトー先生にありがとうございました、と一礼したい
そんな一作です。

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