『憐れみの3章』はどんな話?ネタバレ考察と感想/RMFとは何者か?

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『ロブスター』『哀れなるものたち』などで知られ、国際映画祭でも脚光を
浴びる鬼才ヨルゴス・ランティモス監督による最新作
『憐みの3章』を視聴しました。

監督の名前を聞いただけで一筋縄ではいかない内容が予想できる本作ですが、
今回も期待を上回る衝撃が待ち受けていました。

見る人によってさまざまな解釈が出来そうな本作を、
筆者の凡人的な目線から紐解いていきたいと思います。

そこで本記事では、『憐れみの3章』とはどんな内容なのか?
それぞれの物語が意味すること
そして気になるR.M.Fの正体についてもあくまで一個人の考察ですが
綴っています。

キャスト
エマ・ストーン、ジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォー、
マーガレット・クアリー、ホン・チャウ
 他

以下、結末までのネタバレが含まれます。
未視聴の方はご注意ください。

本記事の情報は2025年2月時点のものです。
最新の情報は各サイトにてご確認くださいませ。

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第1章『R.M.Fの死』

主人公のロバートは上司であるレイモンドに自身のスケジュールを
中心とした全てを管理されていました。

その代わりに家や車や貴重な贈り物の数々といった
富を得て妻と幸せに暮らしていたのです。

そんなロバートはある日、ブルーのBMWに故意に突っ込みます。
それは他でもないレイモンドの願いでした。
しかしブルーのBMWの運転手は無傷ですみました。

それはロバートの失敗を意味しましたが、
心もとないロバートを優しく迎えたレイモンドはもう一度
もっと速度を上げた状態でBMWに突っ込んで欲しいと告げます。

ロバートはそんなことをすれば今度こそ相手の命を奪ってしまうかもしれない
と危惧し、その依頼を受けることはできませんでした。

するとレイモンドは、それならばこの関係は解消すると言います。
それでも、与えた車も家も持っていて構わないと告げられます。

しかし翌日、妻が喜んでいたレイモンドからの貴重な贈り物が
ロバートの家から持ち去られていました。

ロバートの家のセキュリティなどの暗証番号でさえも
レイモンドが決めていたため、持ち去るのは容易なことなのです。

警察を呼ぶという妻に、ロバートはすべてを打ち明けたのでした。

例えばロバート夫妻が子どもを持つのか否かさえも
レイモンドの意向が関与し、ロバートは妻が妊娠できないように
操作していたという妻にはショッキングな出来事を告白しました。

憤慨した妻は出て行き、ロバートに残ったのは自由でした。
しかしいざ自由を手にしたロバートはバーへ出向いても、
自分の飲みたいお酒さえ決められなかったのです。

そんな矢先、新たにリタという思い人を見つけたロバートでしたが、
ある日、約束をすっぽかした彼女は
交通事故にあっていたことが判明します。

そして同じ病院にはあのBMWの男性も運ばれていたのです。
そしてリタの病室からはレイモンドとその妻のヴィヴィアンが出てくるのを
目撃します。

何も覚えていないと言うリタですが、
彼女もまたレイモンドの息の掛かったものに過ぎなかったのです。

リタは事故の相手の男性は大事に至ってはいないと言います。

それを聞いたロバートはBMWの男性を病室から連れ出すと
自らの手でひき殺してしまいました。

レイモンドの望むままに・・・。

その足でレイモンドの元へ向かったロバートは
寝室に招き迎えられ、レイモンドとヴィヴィアンの愛情に包まれ
至福の時を取り戻すのでした・・・。

第2章『R.M.Fは飛ぶ』

警察官のダニエルは海洋調査に行ったまま失踪してしまった海洋学者の妻リズ
思い続けるあまり容疑者の中にでさえも妻の面影を見出してしまうほど
追い詰められていました。

そんなある日、突如ヘリによって無人島でリズが救助されるのです。
やっと帰ってきたリズでしたが、そんな妻にダニエルは不信感を抱いていきます。

ダニエルの好きな曲を間違えたり、
苦手だったチョコレートを自ら食したり、
足のサイズが大きくなったりという不可解が続いたためでした。

目の前にいるのはリズではない
そう確信を持ったダニエルは食事を摂らなくなってしまいます。

そんなダニエルに懐妊したことを告げるリズでしたが、
祝福されるどころか、
『出て行け』と告げられてしまいます。

それから食事を拒否する日々が続きますがある時
珍しくお腹が空いたと食事を要求してきたダニエルは
【君の指とカリフラワーの炒め物】
が食べたいと言い出したのでした。

リズは愛する夫のため、自身の潔白の証明のため
要求通りのものをダニエルに差し出しました。

自身で自分を傷つけ、お腹の子も流産させてしまいます。

しかしダニエルはリズの指は食べずに飼い猫に与えていました。
そして今度はもっと栄養価の高いもの、
リズの肝臓が食べたいのだと言います。

そんなダニエルに対しとがめるような視線を送ったリズでしたが
ダニエルがリビングへ向かうとそこには
自身の体を切り裂き肝臓を取り出し絶命したリズの姿がありました。

しかしそんなリズに見向きもせずまっすぐ玄関へ向かい扉を開けた
ダニエルは外から来たリズそっくりの女性とハグし幸せなひと時を
取り戻したのでした・・・。

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第3章『R.M.Fサンドイッチを食べる』

エミリーは夫と娘の元を離れカルト教団に所属していました。
そこでエミリーに与えられたのは、
死者を蘇らせることが出来る人物を探すというミッションでした。

そこでは教祖オミと妻のアカは絶対的な存在であり、彼ら以外と交わることは
認められていませんでした。
なぜならば身体が汚れてしまい団から追い出されるからです。

そんな教団に所属しながらも置いてきた娘への愛は拭えずに
度々、密かに自宅を訪れるエミリーでした。

ある日、いつものように留守を狙って自宅を訪れた
エミリーは丁度帰宅した夫と娘に出くわしてしまいました。

それがきっかけで夫とお酒を交わしていたエミリーは薬を盛られ
意に添わぬ暴行を受けてしまいます。

翌朝、迎えに来た教団により、汚れ認定がされてしまった
エミリーは優しく教団を追われてしまいます。

しかし行き場のないエミリーは教団へ戻るべく、
ミッションを遂行しようとします。

そして双子の姉妹の助けもあり奇跡の人ルースを見つけ出した
エミリーはルースを眠らせR.M.Fの亡骸に触れさせると、彼が蘇ったのでした。

とうとう本物を見つけ出した。
そして教団へ戻ることが出来る。

そんな歓喜の舞の後、車を飛ばして教団へ向かうもエミリーの
前方不注意によってルースを死なせてしまったのでした。

一方で蘇ったR.M.Fはサンドイッチを頬ばり
ケチャップを服に飛ばしてしまうのでした。

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『憐みの3章』を考察

同じ俳優陣が異なる役柄で不条理な世界を演じた本作。

それぞれの疑問について推察しています。

第1章ロバートは支配されずして生きられない

ロバートはすべてをレイモンドに支配されていました。

それは仕事や食事に関するスケジュールから
自身の妻や子どもといったプライベートの存在までも
レイモンドが用意したり、彼の意向を受け入れて過ごしていました。

その代わりに得た富や幸せがありました。

しかしそんなロバートにとって例え神のような存在のレイモンドであったとしても
『人を殺める』
という指令には心が痛んだのでした。

支配をされていたロバートでしたがその非情な願いだけは拒否する
ことを決意します。

ところが支配が解かれレイモンドからの自由を手に入れることが、
同時に彼にとっては生きることを奪われたのと同意だという現実を知ることとなります。

ロバートにとって自由に生きることはまるで罰のようでした。
ならばレイモンドを拒否することは罪であり、
再びレイモンドの支配を望んだロバートが行わなければならないのは
R.M.Fの抹殺という罪滅ぼしだったのでした。

第2章リズの正体は?

結論から言えば、帰って来たリズは本物の妻だったのだと思います。

海洋調査の最中に遭難して犬と人間が逆転するような立場を強いられながら
生きたリズ。

過酷な環境の中で生きるためには、嫌いなチョコレートさえ
拒否することなど許されなかった
のでしょう。

あっ、でも無人島にチョコレートがあるというのは不自然なので
このチョコレートというのは何等かの比喩なのでしょうね。

犬たちが食い散らかした残りものの・・・。

そしてリズの足のサイズが変化していたという疑念も、
妊娠したせいでむくみが出たとか
長い間、島での靴を履かなかった生活が影響したことも考えられます。

案外、ちょっとしたことで、多少の変化はみられるものです。
朝と夕方でさえ少し違いますしね。

以上のことからリズが別人のようになってしまった
のはそれこそが過酷な島で生き抜く術だったと言えるのではないでしょうか。

また精神的に安定したダニエルならば
その疑念も深堀されることはなかったのかもしれません。

冒頭でいきなり容疑者を愛しい妻のように見つめる
ダニエルの描写は、すでに彼自身の精神がきたしていることを
表していました。

ではラストでリズが絶命した後に現れ、ダニエルと抱擁するリズは
誰だった
のでしょうか?

素直に受け取るならば、あれは精神が崩壊しつつあるダニエルが見た
幻影だった
のではないかと思うのです。

ヘリに救助され、やっと愛する夫が待つ自宅に帰宅できたリズを
待っていたのは夫からの非情な洗礼でした。

しかしそんな風に変えてしまったのも
いなくなった自分のせいだと感じてしまうリズ。

なので再び元の幸せを手に入れるために、自身が本物のリズだと
証明しなければなりません
でした。

体の一部を差し出せという夫の無理難題でさえ、
命からがら島で生き抜いたリズならばこそ、
待っていてくれた夫に対する思いがあるからこそ決意できたのでしょう。

そして夫の要求はエスカレートしていき、
とうとう肝臓までもを差し出したことでやっと
リズは再び信頼を得たのだと思います。

リズの絶命後に玄関の外からやってきたリズは幻影なのでしょう。
しかしそれは命を差し出してまで自らの潔白を証明した本物のリズの魂が蘇り、
ダニエルに受け入れられたという比喩描写
なのではないかと思いました。

ただ、エンドロールではワンちゃんたちが車を運転し、
人間社会を楽しむという描写もあることから
玄関の外からやってきた方の2人目のリズはダニエルの猜疑心を操り
本物のリズの生活をのっとったワンちゃん
なのかも‽!
なんていう推察も浮かんできます。

第3章R.M.Fとは何者か

不条理さを際立たせたラストのエンドロールに登場するのは
蘇った男性R.M.Fでした。

3章を通して唯一同じ登場人物であるR.M.Fとは
一体何者なのでしょうか。

その答えが劇中で明かされることはありませんでした。

R.M.Fの意味には諸説あるようです。
一説には、
Redemption(贖い)
Manipulation(巧みな操作)
Faith(信仰心)

の頭文字ではないかと憶測されています。

とはいえ当のヨルゴス・ランティモス監督はR.M.Fには
特別な意味はない
のだと公言していますが。

1章で殺されてしまうも、3章で蘇るR.M.Fが全編を通して出演しているからこそ
この3つの物語の繋がりを表していると言えます。

1章で自らの人生の終わりの時期を選び
2章で空を飛び回りながら誰かを救い
3章では蘇り、孤独の食事も自由に楽しむ。

そんなR.M.Fという存在は
支配されたり支配したりする関係の中で欲望や幸せや富を
見出そうとする登場人物とは一線を画し、
ただ一人誰にも何にも縛られることも欲望や富への執着もない人物と
言えるのかもしれません。

そうあれたらどんなに気楽で、潔い生き方なのだろう。
それでもそうはいかないのが人間であり、
我々が持つ複雑にして様々な感情ゆえなのでしょう。

原題『Kinds of Kindness』タイトルの意味

『憐れみの3章』というタイトルは邦題で、
原題は『Kinds of Kindness』なのだそうです。

その意味は直訳すれば『優しさの種類』となります。

監督はそのタイトルにどんな意味を込めたのでしょうか。

1章の主人公ロバートは絶対的な存在レイモンドの支配下
おかれていました。

富や順風満帆な日々が与えられるロバートはもはや
支配されずに生きることが難しいのだと実感します。

そして支配されない自由はロバートにとって不幸せでしかなかったのです。

ともすれば、支配されなけらば生きられないロバートを
支配してあげることこそ
レイモンド流の優しさとも受け取れますし、
ロバートもまたレイモンドの喜ぶ顔が見たくて従い続ける優しさを持していたのかもしれません。

そんな風に、はたから見て奇妙なその関係も
当人にとっては優しさの一環であり、
そうすることで双方の幸せも得られる関係性なのでしょう。

2章でもダニエルに支配されたリズがとうとう命までもを
差し出してしまう結果となったのは、
リズもまた自身の失踪のせいで精神的に不安定になってしまった
夫への愛情と償いを示した与えることによ自己犠牲の思いやりと言えなくもありません。

3章では教団の教祖夫婦であるオミとアカによって洗脳されている
エミリーは最愛の娘を犠牲にする代償に、
生きる糧や居場所を提供されていたのだとすれば
それもまた親切の一種だと解釈することもできるでしょう。

どれも角度を変えて見たら一見支配されている側も救われているととれます。
だとすれば、そんな人を満たす優しさにはさまざまな種類があるという結果なのかもしれません。

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『憐みの3章』感想

間違いなく奇妙な物語でありながら、
どうにも引き込まれてしまう根底には
そのテーマに我々『人間』にとって身近なものが潜んでいるからなのでしょう。

愛情、欲望、執着、
どれも身に覚えのありすぎることです。

しかし本作での優しさのカタチは至極型破りすぎて
自身の手本にはならないし、
何が正解なのか?よもやわからなくなってしまいそうでした。

そんな物語は3章とも例外なく結末は不憫に終わってしまいます。

ロバートは自身の幸せのためとはいえ、重罪を犯すことになります。
リズも元通りの日常を愛する人のために取り戻したかったという心情が、
失踪から奇跡的に救われた自身の人生を終わらせてしまいました。

そしてエミリーもまた、家族を捨ててまで心酔してしまう教団での
自分の居場所を掴んだかにみえた矢先に少しの不注意で
絶望の淵へと落とされてしまいました。

そんな風に、懸命に何かを掴み取ろうとする者たちの
あの衝撃の結末を目の当たりにしても視聴者たちがヨルゴス流の『優しさ』と受け取るのか
それとも『憐れ』だと感じるのか。

自分にとって必要不可欠な誰かのためを思って、
服従することや差し出すこと、そこに居る自身の価値を見出すこと、
その中にも様々な優しさは関与するのでしょう。

しかしこの結末においてこんなにも憐れに描いたのは
もっと冷静に眺めてみれば本当に大切なものが
見えるのだというメッセージが隠れているのかもしれません。

そしてこの物語をさっぱりわからない
と感じたのならば、それこそが本当の自分の価値観を理解し、
幸せのど真ん中にいられる人たちなのかもしれませんね。

珍しくwww邦題
『憐れみの3章』というタイトルがしっくりくる一作です。

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