村上虹郎主演映画【ソワレ】ネタバレ考察|逃避行の結末とタイトルの意味とは?

噴水 邦画
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昨今、多くのスクリーンを飾る
アニメや漫画、人気の小説の実写化。

そのストーリーが好きな人が鑑賞するのには
面白いことが保証されている。

しかしプロデューサーとしての豊原功補は語る。

『もっと日本映画界を豊かにしたい』

と。
(かなり端折っていますww)

日本映画界を豊かにするべく立ち上がったプロデューサーたちの
オリジナル作品第1段

【ソワレ】

原作ありきの実写版が、中身の見える福袋ならば
オリジナルの作品は中身の見えない福袋のようなもの。

どんなものが入っているのか楽しみに鑑賞してみました。

タイトル

【ソワレ】

に込められた想いとは何なのか

筆者なりの一つの答えを推察してみました。

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【ソワレ】概要

制作:2020年

上映時間:111分

配給:東京テアトル

監督・脚本:外山文治

プロデューサー:豊原功補

アソシエイトプロデューサー:小泉今日子

キャスト
村上虹朗/芋生悠/岡部たかし/江口のりこ/康すおん/塚原大助 他

あらすじ紹介

主人公・岩松翔太(村上虹朗)は、俳優になるため上京をしたが
その夢が叶うことはなく、やる気も薄れながらも稽古に通う傍らで
生活のための金銭を稼ぐために犯罪の片棒を担ぐまでに堕落してしまっていた。

そんな中、翔太の所属する劇団は、翔太の故郷である和歌山の高齢者施設へ
交流会に訪れます。

その施設で、不慣れながらも一生懸命に働くタカラの姿を目にした
翔太たち。

タカラは老人たちに、笑えない時に笑う方法として
頬に指をあてるしぐさを教えていた。

しかし、タカラが老人にされたことに驚いて席を外したすきに、
その老人が行方不明になってしまうという事件が起きた。

老人はすぐに見つかるが、タカラに対して拒否反応を示し動こうとしない。

一方で同じ老人が他の職員の言う事をあっさり聞き入れる姿を目にしたタカラは
自らの無力さに落ち込んでしまう。

そんなタカラを見守っていた翔太たちはタカラを祭りに誘った。

祭りの支度をするタカラを自宅に迎えに行った翔太は、
タカラの部屋の窓ガラスが割れる音を聞き、
急いで駆け付けるとそこにはタカラに乱暴している男がいた。

その男を引き離し、タカラには逃げるように諭す翔太だったが、
タカラはその場から動かず、翔太はその男の反撃にあう・・・。

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以下、作品のネタバレをしています。
未視聴の方はご視聴後のご再訪をお待ちしておりますm(__)m

タイトル【ソワレ】の意味から物語を語る

【ソワレ】とはフランス語で『夜公演』のこと。

反対に『昼公演』のことを【マチネ】という。

本作では、夜公演を描いている。

それはどういうことなのか。
推察してみました。

何故翔太は逃避行にのったのか

誰かの心に残るような役者になりたい

という翔太の夢。

それは、言い換えれば誰かの助けになりたい
ということであり
ヒーロー思考がなす願いだと思う。

そんな夢を抱えて上京した翔太だったが、
その夢はそう簡単に叶うことはありませんでした。

自分が誰かの助けになることが叶わない翔太は
ヒーローとは真逆な犯罪という行為に手を染めてしまう。

まさに人として落ちてしまった翔太。

故郷に戻った際には

才能があるふりはやめろ

という兄の言葉を浴びせられる。

それはきっと更に翔太を追い詰め
心にとどめを刺された思いだったと思う。

一方

父親からの虐待に悩まされながら、
自ら何を発信しても手を差し延べてくれる人が居ないタカラは
ゆるぎない弱者だった

自分だけがどうしてこんな目に合わなければいけないのか

そう嘆く目の前の不幸な少女。

どん底な心境にいた翔太だったが
自分よりも不幸な人を目の前にして

ヒーローになれるかもしれない

という思いが生まれ、
翔太がタカラに手を差し延べるきっかけになった。

そして2人の夜公演とも言うべき
逃避行が始まったのです。

現実は暗闇の中

〖かくれんぼ〗は得意だと言い放つ翔太は

常に自分の人生から逃げていた。

俳優になる夢が叶わないからといって
稽古に出た際も台詞を覚えてこない

とか

完全に自分から逃げていた。

行くあてもなければお金もない若い2人。

解決策として

お金を盗もうとしたり
ギャンブルで稼ごうとする翔太

に対し、手助けしてあげているはずのタカラは
自分で働いて稼いでみせた。

それは翔太にとって大きな一撃であり
意図せずとも辱められ、情けなさを実感させられた瞬間だった。

夜公演の幻想

自らの不甲斐なさを弱者であるタカラにぶつけて去った翔太。

一人になったタカラは自首をしようと試みるが、
実行はできず、
実母の元を訪ねて見たりするが
受け入れてはもらえなかった。

もうどうしたらよいのかさえわからなくなったタカラが

辿り着いたのは和歌山県立美術館。

そしてタカラの前に現れた翔太とタカラの
『安珍と清姫伝説』の台詞の掛け合いはまさに夜公演のよう。

しかしそんな幸せのひとときはタカラの幻影でした。

夢から覚めたように、
川へ身投げを試みようとするも出来ないタカラの前に
今度こそ本物の翔太が現れる。

再会した翔太ははじめて自分に向き合っていました。

もう逃げなることはないタカラの孤独なヒーローが
そこには居ました。

逃避行の結末

固い絆が生まれた2人でしたが
和歌山を離れることは叶わず警察の手によって
引き離されることに。

別れ際、タカラはいつもの
頬に指をあててほほ笑む仕草を翔太にみせました。

沢山の人の心に残る役者さんになって欲しい

・・・と。

夜公演とその先にあるもの

俳優になるという夢。
その夢が叶えられない自分への自信が揺らぎ
自分から目を反らす翔太

誰に何を何度も訴えたとしても抜け出せなかった暗闇。
追い詰められるあまり
そこから這い上がるための手段として罪を選択したタカラ

孤独で弱く、社会に拒絶された2人が手を取り合った逃避行。

どこまで行けばいいのか
いつまで逃げればいいのか

先の見えない不安と絶望の夜公演。

その結末は

2人で逃げ切ることは叶わなかった。

そして引き離され、幕がおりました。

しかし

夜公演を終えた2人には、
もう弱者にとどまることはしない。

そんな覚悟がみられました。

実際、東京へ戻った翔太はタカラと出会うまでとは
見違えていて

真面目に働き、夢にも精一杯取り組んでいました。

そんな2人のその先には
〖マチネ〗が待っているのではないでしょうか。

【ソワレ】を見て思ったこと

本作の中で最も心に刺さったのはラストシーンでした。

それは
心を入れ替えて見違えた翔太が高校時代の自主映画を見直す場面。

そこに
いつもタカラがしていた頬に指をあててほほ笑む仕草
が出てきたのです。

実は、あれはタカラの仕草ではなく
高校時代に制作した自主映画での翔太の仕草でした

その真実に翔太が気付き、泣き崩れるシーン。

そういえばあの日、
大人の男女に連れて行かれる女子高生を目撃した。

高校時代の記憶をたどり崩れた翔太の涙は

あの時に手を差し延べてあげることができていたら・・・

という後悔と

その事実をひた隠して翔太と過ごしていたタカラの気持ち
を思った涙。

2人が引き離された後も続いていた夜公演のようでした。


タカラは元々は全くの被害者だったはずなのに、実父という
生まれながらに背負ってしまう呪いのような不幸のせいで

高校を中退しなければいけなかったり、
自分を汚い存在と嫌悪することになったり
もちろん心から幸せにもなれない。

誰からも認められないと感じ
声をあげても誰にも届かなかった。

あげく取り返しのつかない罪を犯してしまいました。

しかし、高校時代の翔太には目もとまらなかった存在の
タカラの背中を

再会した翔太は最終的に救うことができました。

そんな微かな希望を示唆するようなラストだったのでは
ないかと思うのです。

この物語はフィクションですが
世の中は不寛容が駄々洩れていて
生きづらさを感じる人も少なくないでしょう。

けれどもどこかに存在している
暗闇のその先に導いてくれる人がいたらいいですよね。

たった1人でいいから。

と同時に自分自身も例え図らずとも
そんな存在になれたらいいな
というのを目標にしていきたい。

そう思えるような一作です。

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