ABEMAオリジナルドラマ『透明なわたしたち』は、
過去と現在を行き来しながら徐々に紐解かれ繋がっていく謎が
見どころの群像サスペンスなんです。
全6話の本作を鑑賞し終えた感想と結末や考察を綴っています。
本記事のポイント
・最終話で明かされる犯人の正体とは
・犯人の動機と事件の背景
・『透明なわたしたち』それぞれの結末
『透明なわたしたち』あらすじ
#透明なわたしたち
— わかっていても【ABEMAオリジナルドラマ】毎週月曜よる9時配信 (@abema_drama) November 21, 2024
世界配信がスタートしました!
"今"を生きる26歳の若者たちの物語。
ぜひご覧ください📺#福原遥 #小野花梨 #伊藤健太郎#倉悠貴 #武田玲奈 #林裕太
2024年の渋谷スクランブル交差点で無差別殺傷事件が起きる。
ゴシップ週刊誌記者の中川碧は拡散されたその犯人の映像を見て
かつての同級生かもしれないと思った。
白塗りの顔に『八咫烏(やたがらす)』のペイントを施していた
その姿が碧がかつて通った高校のダンス部員のそれに
酷似していたからだった。
ゴシップ記事が書きたいわけではない碧は
本事件を追うことで、同級生ならではの視点で
どこよりも早く濃密な記事が書けると考え
この事件を取材することを志願する。
そこでかつての友人たちに会いに行き、
取材を重ねるうちに碧の心に蘇るのは
高校の文化祭の夜に起こった事件だった。
キャスト
福原遥、小野花梨、伊藤健太郎、倉悠貴、武田玲奈、林裕太、
三浦貴大、渋川清彦、仙道敦子、根岸季衣、和田正人 他
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以下、結末までのネタバレが含まれます。
見視聴の方はご注意ください。
本記事の情報は2024年1月時点のものです。
最新の配信状況は各サイトにてご確認くださいませ。
最終話で明かされる犯人の正体とは
碧は渋谷の無差別殺傷事件の犯人の正体は
喜多野雄太だと考えていました。
それは、高校時代に起きた
放火事件の犯人も、喜多野であると確信していたからでした。
しかし実際の渋谷の犯人の正体は同じダンス部の
尾関健だったのです。
視聴者も戸惑うその存在
事件の全貌を追っていた碧は
警察の被疑者発表の時、その名を聞いて一瞬戸惑いをみせました。
渋谷の事件が喜多野なのか高木なのかと
推察していた視聴者もまた、尾関の名前を聞いて
『???』
と思ってしまったのではないでしょうか。
ダンス部男子と碧たち女子が良く通っていた
喫茶店の息子こそ尾関健なのです。
犯人の動機と事件の背景
渋谷のスクランブル交差点のど真ん中で自ら命を絶つという
センセーショナルな事件を起こすことが目的でした。
その理由とは何だったのでしょうか。
部室に火をつけた真犯人
碧にとって、高校での花形だったダンス部に所属していながら、
高木や喜多野などの派手な存在とは異なり
尾関は印象が薄い存在でした。
そんな尾関は碧に恋心を抱いていましたが、
ダンス部においても、祭りにおいても
碧が自分を見てくれることはなく、
自身の存在が高木や喜多野とは違うことを痛感していたのです。
そんな時に起こった部室の放火事件が決定打になりました。
事件を探る碧たち新聞部が下した決断は、
その夜、彼女たちが目撃した喜多野が犯人であるということ。
しかし実際は、その夜、喜多野と一緒に居た高木の
タバコの不始末が原因でした。
二人が口論になった末、喜多野が先に部室を出て、
その次にタバコを投げ捨てた高木が部室を後にしたのです。
ところが、忘れ物をした尾関はその光景を見ていました。
部室に投げ捨てられたタバコにまだ火が点いているのも確認していたのです。
それでも尾関は火事を未然に防ぐことなく、部室は火に包まれたのです。
事件の一部始終を知れば、間接的にではありますが、
簡単に防げた火の始末をしなかった尾関が犯人であると言っても
過言ではないでしょう。
透明ではなくなる手段
尾関は例え犯人になってまでも、碧や誰かに自分の存在を見て欲しかった
のかもしれません。
その後、母親が病に倒れ、一人きりになった尾関は
碧の通う東京の大学の前を通り偶然、碧を目撃しますが、
気づかれることも、自分から声をかけることも出来ませんでした。
社会の中で、自分に気づく者が居ないという孤独感に
さいなまれ、まるで透明になった気持ちを抱える尾関の心は
暗闇に包まれて行きます。
そんなある夜、女子高生のユリが飛び降り自殺をした現場を
通り、その周りを野次馬が取り囲んだり、動画が拡散されるのを目撃します。
その後、尾関はユリの友達サクラと出会います。
サクラは、ユリの行動は自分の存在を社会に知らしめるためだったと
羨ましがりました。
サクラと別れた直後、尾関はユリのように、
この社会に生きた証を示すために交差点の真ん中で自殺をしようと
決意し、行動にうつそうとしていました。
尾関にとってそれが社会の中で透明ではなくなる手段だったのです。
『無差別殺傷事件』の真実
しかしその時、3人組の男性がユリの動画を見ながら
彼女を侮辱するような発言をして笑っていたのを目撃します。
ユリもその友達も尾関も同じ葛藤を抱えています。
だから、悲しすぎる結末を迎えたユリの存在を
揶揄するような彼らを許すことは出来なかったのでしょう。
尾関は反射的に彼らを切りつけました。
報道は、尾関の起こしたことを『無差別殺傷事件』と称しました。
しかしその真実は、尾関は人を殺めようとしたのではなく、
無差別に刺したわけでもなかったのです。
人が見たいものだけを見た結果、
事実さえ歪んでいってしまうのでした。
『透明なわたしたち』それぞれの結末
碧はゴシップ記事ではなく、誰かの心に訴えかけることのできる
新聞記者になりたいと熱望していました。
そのため、当初は渋谷で起きた無差別殺傷事件の犯人が
喜多野である可能性を見出し、
若き頃の彼を知っている自分にならば他の人には書けない記事が
書けると自負していたのです。
しかし実際は、渋谷の事件の犯人は喜多野ではありませんでした。
それどころか、喜多野は高校の放火事件の犯人でさえありませんでした。
だとすれば喜多野が放火事件の犯人だという視線にさらされ、
スクールカーストの1軍から転落して犯罪者にまで陥ってしまった彼の今の人生。
その原因を作ったのは、行き過ぎた正義感で喜多野を犯人だと連想させる新聞記事を
無断で行内に張り付け彼を追い詰めた碧自身だったのだと気づき心を痛めます。
その喜多野は高木や梨沙との再会を機に、警察に自首することを決めます。
高木だけは東京で企業し成功している唯一の人でしたが
未成年売春問題が勃発し、何者かに脅されていました。
しかし喜多野が自首をした報道を見た高木は覚悟を決め、
脅してくる犯人に、警察に相談することを告げ、
仲間と企業した会社を一人去る決断を下しました。
時が経ち、喜多野が出所してくる日、彼を出迎えたのは高木と碧でした。
自分を見つめる罪悪感に満ちた碧に微笑みかける喜多野でした。
それから喜多野と高木は地元である富山のPRをする会社を企業します。
梨沙は俳優になる夢が叶わず、ホステスをしていることを隠しながら
SNSでは充実したキラキラな毎日を偽装しアップしていました。
しかしそんな虚しい日々から脱し、オーデションを受け
舞台に立つのでした。
風花は東京で挫折し、地元へ戻って結婚、一児を設け、
夫の事業を義母と切り盛りする生活に不満が生じていました。
東京で望んだ仕事に就き充実した毎日を送る友人たちに嫉妬心が
芽生え、渋谷の事件の犯人が高木であると拡散します。
しかし、碧に真実を打ち明け、自己中心的な気持ちを捨て、
家庭を大事にすることを決意したのでした。
碧は改めて、留置所に入った尾関に面会に訪れます。
『お前はなんも見えとらんよ』
と言われた碧は、社会の中では、知らぬうちに
他人への解釈さえ自分の思いたいように解釈し、簡単に片づけてしまうこと、
その結果、意図せず誰かを傷つけていることを実感します。
そして尾関の事件の真実を世間に公表するべく、特集記事を担当する碧は
暴力ではなく文字で、同様に生きづらい若者たちへ向けて
激励を綴って行くのでした。
尾関の実家の喫茶店『振り子』は尾関の逮捕を受けて
誹謗中傷で荒らされていましたが、
高校時代のみんなでお店をきれいに戻すと、その前で
集合写真を撮り、その画像と共に
『待ってるよ』
という尾関へのメッセージを送ったのでした。
『透明なわたしたち』感想
もしも人生のやり直しができるとしたら
やはり高校時代からやり直したい、
そう思っています。
それほど多感な、未熟であり成熟を垣間見れる時期でもあり、
良いことも悪いことも
傷ついたことも傷つけたことも
今でも、きっと一生鮮明に残る時代だったような気がしています。
本作の登場人物の心情も、自身も同じなのか?はさておいて
気持ちは理解できるというような内容が多々あり、
それだけに、ラストはハッピーエンドを迎えたことが、
いつだってやり直しはできるのだと示唆された気がしてホッとしました。
正義の名のもとに、人を攻撃し追い詰める人、
筆者の身近にも居ましたwww
しかし100%の正義を持っている人なんて存在しないですし、
もし良かれと思って人を懲らしめるのならば、時に
そのことが原因で立ち上がれなくなり転落してしまう人も
いることを今一度考慮しないと、ですよね・・・。(遠い目)
東京で華やかな日々を送る友人たちに嫉妬を覚える風花ですが
配偶者から大切にされ、可愛い娘が誕生してくれた奇跡を手にし、
それほど厳しくなさそうな義母に囲まれる風花は
はたからみたら不幸には見えないんですよね。
そんな風に、自分の見たいものしか見ないことこそ
自分の輝かしい未来をかすませるのかもしれません。