『北の国から』で知られる日本の巨匠、倉本聰氏が長い年月をかけて構想し、
自身の最後の作品として原作・脚本を担当したヒューマンドラマ、
『海の沈黙』
主演を本木雅弘、そして本木との久々の共演で話題になった
小泉今日子や清水美沙など、話題の俳優陣が務めました。
倉本聰氏の集大成とも言える本作のタイトルの意味や
劇中で描かれる贋作の真意に着目して
ネタバレ考察しています。
よろしければご一読くださいませ。
『海の沈黙』あらすじ
🔹🔹🔹🔹#海の沈黙
— 『海の沈黙』公式アカウント (@uminochinmoku) December 22, 2024
国際映画祭出品!
🔹🔹🔹🔹
来年1月30日よりオランダ・ロッテルダムで開催される第54回ロッテルダム国際映画祭への正式出品が決定!
NEWS欄では倉本聰さん、若松節朗監督、本木雅弘さんのコメントをご紹介いたします。どうぞご覧ください。https://t.co/LRTc4Gub3Y pic.twitter.com/5mRkyPxGYV
世界的な画家として知られる田村修三は自身の展覧会会場で
一つの絵画に驚愕した。
それは『落日』という田村の作品のはずだったが、そこに飾ってあるのは
自分が描いた絵ではないことに気づいてしまったからだ。
その絵を所有していたのは貝沢市立美術館だった。
館長の村岡自身も田村の絵画だと疑わず所有していたこともあり
衝撃を受けるが、贋作だと判明してもなおその絵に魅了されていた。
展覧会の主催者たちはこの不祥事を公にしまいと、
会が終わるまでは贋作が混ざっているというこの事実を公にしないで欲しいと哀願する。
しかし田村自身は『芸術家の良心』からその絵が贋作であることを早々に公表してしまい、
その絵画は展覧会会場から撤去されたのだった。
一方、北海道・小樽では海に身を投げた全身に刺青が彫られた女性が発見される。
贋作と全身刺青の女性の事件に関わる人物として、かつての田村の同級生であった津山竜次
という存在が浮かび上がるのだった。
キャスト
本木雅弘、小泉今日子、清水美沙、仲村トオル、菅野恵、石坂浩二、萩原聖人、
村田雄浩、佐野史郎、田中健、三船美佳、津嘉山正種、中井貴一 他
以下、ネタバレを含みます。
未視聴の方はご注意ください。
本記事の情報は2025年4月時点のものです。
最新の配信状況は各サイトにてご確認くださいませ。
『海の沈黙』タイトルの意味とは
本作のタイトル『海の沈黙』とは
劇中にも登場する若き日の津山竜次が描いた絵画のタイトルでもあります。
その絵はキャンパスを買うお金がなかった学生時代の竜次が
飾ってあった恩師が描いた安奈の絵を潰して上から描いた作品でした。
このことが露呈し問題となった後も、竜次は
恩師の娘であった安奈自身の背中に刺青を彫ろうとしたことで
類まれなる才能を持ちながら芸術の世界を追われることとなってしまいました。
そんな竜次が安奈に受け取って欲しいと残した絵画がこの時描いた
『海の沈黙』でした。
しかしその時、『海の沈黙』は上から別の絵が重ねられてしまい
もう存在していませんでした。
存在しない絵をかつての恋人に残した竜次の思惑とは何か。
それは安奈と恋人関係にあった竜次が描いた、
贋作ではなく本物だった愛情の証であり
例え存在しなくとも存在する記憶を意味しているのではないでしょうか。
竜次がこの世から存在しなくなったとしても、
その魂や安奈への思い、2人の手が触れ合ったぬくもりまで失われるわけではない
と、存在のない絵は語っているのでしょう。
竜次の元を複数の女性が通り過ぎていきましたが
本物の愛は安奈との間にしか生まれなかったのかもしれませんね。
村岡と牡丹の沈黙
『落日』を入手し、田村の展覧会へと送ってしまった
貝沢市立美術館館長だった村岡は、それが贋作であると判明した後、
安奈に会いに行き、あの絵をどう思うか尋ねていました。
村岡はその贋作は田村の作品であると確信し入手したものの、
誰が描いていようが、自身の目に留まり、魅了されたことが事実で、その絵への気持ちは
贋作だと判明した後も変化はしていないと強く主張したかったのです。
しかし村岡に対する視線は冷ややかなものでした。
安奈にも誤解されたままで、地元でも激しい責任の追及にあい、
諏訪湖で自ら命を絶ってしまいました。
一方で、これまで竜次のキャンパスとして全身に刺青を背負い、
ヨーロッパで名を馳せ、その身を竜次に捧げた牡丹の元に竜次からの手切れ金が届きます。
それを受け取ることはなかったものの、
その札束は竜次が抱く自分への気持ちが愛情ではなかったこと、
そして竜次が愛したキャンバスが歪みつつある現実を叩きつけられたのです。
牡丹は新しいキャンバスとなったアザミに会いに行き、
その後、自ら海の中へ飛び込み命を絶ちました。
村岡が追い詰められたのは、
贋作『落日』という圧倒的な美にほれ込んだ自身の心をも冒涜されたからです。
そして牡丹の動機は、竜次が愛してくれた唯一の部分である肌キャンパスが
その輝きを失ってしまったことに対する絶望、
しかしながら完全にその芸術が朽ち果てる前に少しでも綺麗なまま
封じ込めたいという竜次の芸術への愛情なのではないでしょうか。
それぞれの立場から美に向き合った2人が、最後の場所として水の中を選んだのも
それが海中を彷彿とさせ、そんな海の中には
静けさや美しさのみならず、絶望や嫉妬、無念などの
暗いものもはらんでいるという象徴なのではないでしょうか。
そして様々な思いは海の中で沈黙をもって今もそこにあるのです。
贋作の真意とは
田村修三の展覧会に飾られた『落日』は竜次が描いた贋作でした。
贋作を描いて生計を繋ぎ、インターポールに目をつけられてしまった竜次でしたが
そんな竜次の才能に魅了され30年を共にしたスイケンの存在がありました。
スイケンは田村と清家に会いに行き、贋作の真意を伝えたのでした。
スイケンに『落日』の贋作をどう思ったか?
と問われて、自身の『落日』よりも優れていることを認めた田村でした。
ではなぜそんな優れた絵を描く竜次は世に出ることが出来ず、
田村は著名人となって喝采を浴びるのか?
それは『美』への価値や評価が権威や知名度のある誰かの意見、
金銭などに左右されてしまう現状があるからです。
そして竜次が描く贋作は、そんな美の現状に異を唱えているのでしょう。
その他の深読み考察と感想
本作のテーマは
『美とは何なのか?』というものでした。
これは脚本をつとめた倉本聰氏がかつて起こった実際の事件に
着想を得て、その現実に納得のいかなかった心情が込められたもの
なのだそうです。
一方で本作の裏テーマには津山竜次の愛情の物語りが潜んでいます。
竜次は幼少期に両親を海難事故で失くしています。
その痛みに耐える自己防衛機能の一種として
両親がそれを目指したであろう海辺で炊かれた迎え火に執着することで
生きる糧としたのではないでしょうか。
その火を竜次は生涯描き続けたのです。
それが明るい芸術の道を閉ざされた竜次の生きる理由だったのかもしれません。
そうして描かれる火には魂が宿るからこそ、その赤は強く人の心に突き刺さったのでしょう。
漁師の傍ら彫り師でもあったという竜次の父親もまた
母親に刺青を施したのかもしれません。
だとしたら竜次が父親のように女性に刺青を描いたのも
父親を身近に感じ、母親のような女性を見出すためだったという推察もできます。
恋人にまつわる何かを描く人も多いように、
消せない刺青にはある種の呪縛のようなものを感じます。
竜次が若いアザミに刺青を彫らなくてよかった
と呟く背景には、自分の居ない世界で自分に囚われて欲しくなかった
という願いがあったのかもしれません。
牡丹の運命は竜次の刺青によって左右されてしまったかもしれないからです。
では、安奈との関係はどうであったのか?
筆者は安奈だけが唯一、竜次が愛情を持った相手だと推察しています。
そして安奈に母親の面影を見たのではないかとも思っています。
その上で、執着なのか束縛なのか、
刺青を描きたいという衝動にかられてしまったのではないでしょうか。
しかし、良家のお嬢様である安奈には(そうでなくても怖いかも⁉)
その状況が異質なものに感じたのは言うまでもなく、
その世界に身を投じることは出来ませんでした。
それでも安奈もまた芸術を愛した一人の女性として
竜次の描く『海の沈黙』に感銘を受け、そんな美を描ける竜次に
魅了されたのでしょう。
スイケンのように・・・。
病床の竜次に会うために夫のパーティをすっぽかして北海道まで
駆け付けた安奈でしたが、竜次は目を開けず、
安奈もまたそんな竜次にお礼を告げてその場を後にし
そのまま東京へ直行することを望みました。
夫より竜次を重視した安奈に声をかければ安奈は
竜次の最後を共に過ごしてくれたのかもしれません。
しかし安奈を利用する田村とは異なり、
竜次の愛情もまた美に対するものと同様に
自身の信念を貫くことにこだわったのです。
美に利害関係があってはならないように、
自分にではなく、安奈にとっての最良を考えたのでしょう。
最後にアザミでも安奈でもなく、スイケンの腕に抱かれながら
去ってしまった竜次でしたが、
最も純粋な目線で竜次を慕い、美に胸を躍らせ、
田村への雪辱も果たしてくれた彼で良かったと思いました。
そしてスイケンはその後もやってくれると思いますwww
竜次の作品が奇しくも彼が居なくなってからではあるものの評価されるその後の
ストーリーが待っているような気がしてならない一作です。