脚本家・山田太一氏の原作『終わりに見た街』は
これまでTVドラマとして2回、ラジオや舞台化もされてきました。
そしてTVドラマ3作目となるのが2024年に放送された
大泉洋主演の『終わりに見た街』。
脚本を宮藤官九郎氏が担当し、オリジナル要素も加わっています。
しかしそのラストは至極難解なものでした。
視聴者それぞれの様々な解釈が生まれるのではないでしょうか。
特に視聴者を惑わせたのは、宮藤官九郎が登場させた
勝地涼が演じるTVプロデューサーの寺本と
三田佳子が演じる主人公の母親の存在なのではないでしょうか。
そこで本記事では勝地涼が演じた寺本の正体に迫ります。
『終わりに見た街』あらすじ
東京は少し涼しくなりましたね…
— 當真あみ【公式】 (@ami_touma) September 4, 2024
今月21日放送の「#終りに見た街」撮影中は暑い中でしたが、ご用意いただいたフルーツをいただきながら頑張りました!
是非見てくださいね。 pic.twitter.com/PngksOYASY
未だ代表作と呼べる作品がない脚本家の田宮太一は、
二子玉川の分譲住宅を購入し、妻のひかり、娘の信子、息子の稔、
そして認知症が出始めた母親の清子、愛犬のレオと暮らしていた。
そんなある日、テレビ朝日のプロデューサー・寺本真臣から、
脚本家が降りてしまった作品を書いて欲しいと頼まれる。
それは「終戦80年記念スペシャルドラマ」の脚本であった。
そういうのは自身には合わないと断る太一だったが、
偶然、今は亡き父親の戦友の甥である小島敏夫と出くわし、
気まずさ紛れの勢いで脚本の仕事を請け負ってしまう。
膨大な資料をデータで送って貰うよう指示したものの、
実際太一の元に届いたのは紙の重い資料だった。
太一はその資料を読み始めるが、うたた寝してしまう。
するとその時、振動と光そして爆発音が太一を襲う。
太一が目覚めると、窓の外に広がるのはまるで森の中に、
田宮家だけがぽつんと建っている様だった・・・。
キャスト
大泉洋、吉田羊、奥智哉、當真あみ、今泉雄土哉、緋田康人、篠原悠伸、神木隆之介、
田辺誠一、塚本高史、西田敏行、橋爪功、勝地涼、堤真一、三田佳子 他
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以下、結末までのネタバレを含みます。
未視聴の方はご注意ください。
本記事の情報は2025年9月時点のものです。
最新の情報は各サイトにてご確認くださいませ。
『終わりに見た街』衝撃ラストの謎
2024年の現代で終戦記念ドラマの執筆のため
資料を呼んでいた太一は家ごと、家族ごと戦時下の昭和19年6月に
タイムスリップしていたのです。
戸惑う太一をよそに着信が鳴り響き、電話の向こうからは、小島敏夫の声が聞こえてきました。
太一の家族と共に、敏夫とその息子の新也もまたタイムスリップしてしまったのです。
太一は敏夫らとこの時代を生き延びるために協力することにしました。
それは現実か?幻か?
何故、タイムスリップが起きたのか?
思いを巡らせる太一に一つの答えが浮かびあがります。
それは戦時下で度々出くわす、同じ顔の存在でした。
ある時は警護団として太一の家を非情に燃やし、
ある時は隠れる太一を見逃す兵士として現れ、
そして背後から睨みを利かせる将校でもあった顔、
その正体はテレビ朝日プロデューサーの寺尾だったのです。
この件に、寺尾が関わり、むしろ太一らを昭和19年に送り込んだ
張本人こそ寺尾に違いないと確信していました。
しかしともかく歴史を知っている太一と敏夫は少しでも多くの命を救うべく、
昭和20年3月10日に起こった東京大空襲で、少ない被害で済んだ地へ
住民を避難させようと動いたのです。
ところがそんな太一と敏夫を見て、
信子や新也、そして稔までもが、戦おうと、勝とうとしない姿に
罵声を浴びせ、非国民だとののしるのです。
そんなやりとりをしていると、太一らが居た場所を
歴史には存在しない空襲が襲うのでした。
逃げる最中、家族とはぐれ、稔を連れて避難する太一は
何度も出くわした憲兵の姿をした寺本を見つけ詰め寄りました。
しかしその男性は寺本ではありませんでした。
その次の瞬間、太一を爆音が襲います。
一瞬で瓦礫の山になったその場所で目を覚ました太一は
左腕を失う重傷を負っていました。
痛みに叫びながら稔を探す太一の傍に落ちた携帯から
寺本の配信が流れてきました。
「こんな時だから・・・外はミサイルなんやかんやで大変・・・地下シェルター快適~」
などと叫ぶ寺本の姿が・・・。
目の前に広がるのは崩れ落ちそうな東京スカイツリーなどのビル群でした。
この場所が昭和20年の世界ではないことに気づいた太一。
すぐ横にも重傷を負った男性がおり、水を運んであげた太一は
その男性に、今は何年か?と尋ねました。
するとその男性は「にせんにじゅう・・・」と言いかけて
息を引き取りました。
家族の名を呼び叫ぶ太一の携帯からは無情にも
シェルターで余裕をかます寺本の姿が映し出され続けます。
すると寺本は太一を覗き込み、
「生きてる?」(そう聞こえました)と呟いたのです。
その携帯を踏み潰したのは、
幼い清子をおぶった敏夫の叔父・敏彦の若き姿でした。
太一は微笑む2人が遠ざかるのを見つめ静かに瞳の光が消えていくのでした。
結末に隠された3つの謎
本作の絶望的で難易なラストは多くの視聴者を惑わせ、
多くの謎を残しました。
①太一はタイムスリップしたのか?それとも全て夢幻だったのか?
②戦時下に現れた寺本は黒幕なのか?現実の寺本は何故シェルターに居るのか?
③清子は何故幼い姿なのか?清子をおぶっているのは敏彦が新也か?
などなどわからないことだらけでした。
寺本は黒幕だったのか?を考察する
残された謎の中でもやはり最も気になる存在だったのが、
脚本家・宮藤官九郎氏の刺客、寺本は何者なのかということでしょう。
太一は自身や家族らをタイムスリップさせた犯人が
寺本だと確信していました。
視聴者が様々なように解釈できるラストでした。
ここからは超絶個人的な見解を記していこうと思います。
寺本は何者なのか?
個人的には寺本が太一のタイムスリップに無関係ではない
ような気がしています。
寺本は時間に関する能力保持者で、
戦時中に飛ばされた太一の前に現れる寺本は
現代に存在するプロデューサーの寺本の意識が
飛ばされて見えるのではないかと思いました。
あの時に存在した人物の中に寺本の意識が
入っているから、太一を見つけても見ぬふりをして
庇ったのではないでしょうか。
そして意識しか来ていない寺本を、太一には実体がつかめないのです。
そもそも太一に執筆を依頼した
終戦記念ドラマを執筆していた脚本家が途中で降りた
という話ですが、その脚本家もまたタイムスリップに陥って
消えたのではないかと疑っています。
さらに、終戦ドラマで出て来るような、「あんな兵士はいるわけがない」
と豪語していました。
まるで戦時下を見ているかのようではないでしょうか。
寺本はある計画実行のために、前の脚本家で失敗したミッションの
達成のため、今度は太一にタイムスリップを仕掛けたのでしょう。
寺本の目的とは
太一や他の脚本家を過去に飛ばしているのだとしたら
その目的は何か?
それは劇中で寺本自身が言っているように、
「世界平和」なのでしょうか。
日本の戦いは遠い過去に終わった。
そう思っている人は多いが、実はそうとは限らないと言う事実を
寺本は知っているのです。
そして過去が変わらなければ、今を慎重に進めなければ
戦いはいとも簡単にそして突然に勃発するかもしれない。
できることならばそれを変えたいという野望。
そう思う寺本は2024年よりももっと未来からの
使者なのかもしれません。
しかし過去に飛ばされた太一が行ったのは
一人でも多くの自国民を助けるために、
被害の少なかった場所へ導くことでした。
それが間違いだったとは言えませんが、
寺本の思惑とは違う方向へ進んでしまったのでしょう。
また失敗に終わったから寺本は現在の悲劇を察知し、
悠々自適にシェルターでなかば自暴気味に「うぇ~い」
する他ありませんでした。
太一はそこで終わりを迎えますが、
寺本は新たな刺客を送り込むのかもしれません。
『終わりに見た街』感想
筆者は未熟ながら本作の原作の存在を知らなかったので
大泉洋×宮藤官九郎というタッグで
面白いこと間違いないじゃないかと期待して鑑賞しました。
結果、戦争映画でありながら時にコミカルに
多くの謎を投げかけ、コミカルだったからこその後の
悲劇の重さを痛感しました。
本当の意味では戦争を終わっていないし、
これからもずっとこの平和が続くとは限らないという
怖い警鐘を鳴らされた気分でした。
宮藤官九郎のオリジナルだと言う、
寺本と清子の存在がより不可解に多様な解釈を
導きだします。
同じ東京という街で、知り合いの脚本家が重傷を負っている姿にも
他人事で浮かれていられる寺本と、
現代から80年もの過去に飛ばされながらも
親世代よりはるかに順応し、感化され、戦うことに前向きに
変わってしまう子どもたち
どちらも戦争というものの裏を描いているように思いました。
太一が最後に目にした幼い清子と敏彦は存在するのか?
幻だったのか?
存在している携帯が敏彦に踏みつぶされ、ひび割れる描写を
見ると確かにそこに2人の姿はあったのだと考えたくなります。
それは歴史が変わった結果、戦争で亡くなったはずの敏彦は
生還し、清子と結ばれる未来を示唆したのではないかと思うこともできます。
ともなれば、必然的に清子、そして太一ら家族の未来も変わってしまうのです。
敏彦の子どもではない太一が生まれてくることもなく、
信子も稔も存在しない未来。
最後に太一が息絶えてしまい、家族も見当たらなかった理由は
そこにあるのかもしれません。
そもそも太一は本当にタイムスリップしたのか?
自宅で悲劇に見舞われた可能性もあるのでは?
とも解釈できる本作のラストですが、
筆者的には目覚めた太一が軍服を着用し、その場所も二子玉川ではない
描写からタイムスリップは現実で、ラストで再び現代に戻って来たのだと
推察しています。
しかしながら、あまりにも残酷なバッドエンドから目を背けるのならば
自宅で執筆準備をしていた太一が、何等かの衝撃に巻き込まれ
気を失った世界で書き上げた、念願の代表作になるであろう終戦ドラマだった
という劇中劇であるという推察はいかがでしょうか。
今、こうしてお茶を飲みながらキーボードを叩くこの日々が
決して当たり前ではないことを肝に銘じなければい、
と痛感させられる一作でした。