『スオミの話をしよう』はつまらない?3つの酷評の理由とヘルシンキの意味

邦画
スポンサーリンク

※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

『古畑任三郎』『王様のレストラン』など数々のヒット作を
生み出した言わずと知れた奇才・三谷幸喜氏。

そんな三谷氏が長澤まさみの魅力を引き出すべく製作したという映画
『スオミの話をしよう』

2024年の公開時に三谷史上最高傑作と言わしめた本作でしたが、
鑑賞後の評価は酷評の嵐という結果になってしまいました。

『スオミの話をしよう』はつまらないのか?
酷評の理由と謎の「ヘルシンキ」の意味に迫ります。

スポンサーリンク

『スオミの話をしよう』あらすじ

詩人として人気を博す富豪の寒川しずおの妻・スオミが突如失踪した。

しかし寒川はスオミは時期に戻って来るとふんで
公にすることを拒み、警察の公な捜査ではなく知り合いの刑事だけを呼んだ。

寒川家にやって来たのは、実はスオミの元夫である草野圭吾
その部下の小磯杜夫のみだった。

スオミは寒川の連れ子の息子を学校へ送り届けた後
音信不通になったと言う。

草野は寒川家で運転の下手なスオミが車で子どもの送り迎えをしていたり、
料理などできなかった彼女が子どものお弁当を作っていたという
事実に驚愕する。

キャスト
長澤まさみ、西島秀俊、松坂桃李、瀬戸康史、遠藤憲一、小林隆、
戸塚純貴、阿南健治、梶原善、宮澤エマ、坂東彌十郎 

「スオミの話をしよう」はU-NEXTでレンタル配信中です!

U-NEXTでは初めての登録で31日間の無料トライアルを利用できます。
しかもトライアル期間にも600ポイントが貰えるので
「スオミの話をしよう」もポイントを利用して見ることができますよ!

「スオミの話をしよう」タワレコで DVD発売中!4,180円(税込)

Blu-ray Discも発売中!5,170円(税込)

スペシャル・エディション Blu-ray Disc30%オフセール実施中(2025/10月現在)

以下、結末までのネタバレを含みます。
未視聴の方はご注意ください。

本記事の情報は2025年10月時点のものです。
最新の情報は各サイトにてご確認くださいませ。

スポンサーリンク

『スオミの話をしよう』3つの酷評の理由

主演に長澤まさみを迎え、西島秀俊松坂桃李遠藤憲一と言った
実力派ベテラン俳優が脇を固めた豪華な本作が
視聴者からは酷評の嵐を受けているようです。

その理由は何なのか?
酷評の裏側・3つの理由を推察します。

①長澤まさみはミスキャスト?

三谷監督は本作で長澤まさみの魅力を引き出す
彼女の映画を撮りたかったという方針の一つを
述べられていました。

しかし本作の主人公・スオミは果たして長澤まさみと
マッチしていたのか?

むしろ視聴者には長澤まさみのスオミがマッチしなかったと思われた
ことが酷評の理由の一つだと考えられます。

②映画っぽくない演出

本作を見て、これは舞台にした方が良かった
と感じた視聴者が一定数いたようです。

元々、三谷監督自身、本作においてもこれまでと同様、
「舞台っぽい映画」を制作したと言われています。

ともすれば、映画っぽくないという批評が起こる事態、
三谷監督の思惑がきちんと表現できた証ではあるのですが・・・。

視聴者からはもっと映画っぽい演出や世界観などが期待されたのかもしれません。

③目新しさに欠けた

新しさ、斬新さに欠けたというのも酷評の理由の一つでしょう。

実際、筆者も「キサラギ」を彷彿とさせる設定に
思いました。

そんな風に、失踪した妻が彼女を知る人によって
その人格が異なるというストーリーにも
既視感が表れてしまったのかもしれません。

「ヘルシンキ」の意味

本作でスオミが西島秀俊扮する草野に語った誘拐騒動の本当の動機

そしてラストのミュージカルでスオミが歌う

みんな私を愛してくれた。
だから私も愛してあげた。
でも私にはもっと好きなものがある。
ヘルシンキ~🎵

それはスオミが最も恋焦がれている「ヘルシンキ」への思いでした。

外交官だったスオミの父親はヘルシンキの街が好きだったと言います。
そして「スオミ」という名前もヘルシンキがあるフィンランドの言葉で自国の意味
を表します。

すなわち「スオミ」は「フィンランド」という意味になります。

ヘルシンキへの願い

スオミの父親は登場しませんが、母親は、スオミの実父と離婚後、
パートナーは度々変わったけれど、スオミはどの人にも上手く接してくれた
と言っていました。

思えば、その頃にスオミの人に合わせる技が身についたものと
言えます。

しかし当然のことながら実父の前で演じることはなかったわけで、
ヘルシンキは実父そして従来の自分自身を象徴していると言えるでしょう。

自分から去って行った父親への思いはスオミに
暗い影を落としてしまったのかもしれません。

それ故、実父の好きなヘルシンキの地へ降り立つことで
父親が目にした景色や触れたものを通して
失った無償の愛情を感じ取りたかったのでしょうか。

また、ヘルシンキという国自体が意味するもの。

それは国土の7割以上が自然に囲まれ、その自然を平等に楽しむという
モットーであり、
世界でいち早く女性の参政権を取り入れ掲げた男女平等であり、
子どものころから自分の思考で選択していくこと
重視した教育方針などがあります。

スオミがそんなヘルシンキ(フィンランド)に思いを馳せる
理由には、まさに男女の平等や自分自身の選択で歩いて行く人生、
そして演じないでいいありのままの自分でいられること
への
渇望が潜んでいるのではないでしょうか。

スポンサーリンク

『スオミの話をしよう』感想

あの三谷幸喜監督作品ということだけでも
見る人の期待値が上がってしまったであろう本作。

そこには監督が図った通りに、長澤まさみの魅力が満載だった
と言えるのでしょう。

しかし奇しくも監督自身が故意に仕込んだ舞台らしさが
酷評の理由となってしまったようでした。

それでも『面白くなかった』という意見はごく少数はであり、
三谷監督がこだわった『面白いか面白くないか』という
点では大成功だったと言えるのではないでしょうか。

筆者自身は笑いもあり、長澤まさみの美しさも堪能し、
しかしながら本当は悲しき主人公が垣間見れる切なさも潜め、
なかなか思慮深い作品だったのではないかと感じました。

新しい父親と上手くやって行かなければという一心で
スオミが生み出した演じ分けるという能力。

それはたった一人自分の傍に残った肉親である母親を失いたくなかった
からでもあるのでしょう。

しかし実父には見捨てられてしまったという傷はその後も
癒えることがなく、スオミは相手に合わせる
という方法こそが愛情を失わない手段と考えたのかもしれません。

それでも誰と出会っても、演じ続けることには限界があり、
見捨てられなくともそれは演じた誰か幸せにすぎないのです。

そんな日々に決着をつけたいと実行したのが、
狂言誘拐でした。

欲したのは夫という男性からの解放と誰でもない自分自身という自由。
そして要求した3億を手に入れて自分の力で幸せを手に入れること。

演じた自分で女性として依存して手に入れる愛情ではなく、
平等に、自分の考えで生きていきたい
そう願った末の戦略でした。

ところがその作戦は失敗に終わり、ヘルシンキへの道のりが
途絶えたスオミは物語のラストで誘拐事件の担当でありながら、
たった一人だけスオミの顔を知らない刑事の小磯に接近します。

なんだ、結局はまた男性に合わせて生きていくのか・・・
そう捉えることもできる一方で気になることもあります。

それは小磯と言えば、ラストのミュージカルシーンでも
宮澤エマ扮するスオミのソールメイトと並んだ立ち位置でした。

もしかしたら、スオミの正体を知ったうえで出会う小磯との関係は、
これまでとは違い、スオミが演じずに向き合う初めての
男性であることの示唆なのかもしれません。

ともすれば、これまで5人の夫を経てやっと
心のヘルシンキが近づいたといえるハッピーエンドだったのではないでしょうか。

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました