1818年、メアリー・シェリーという当時20代の女性が執筆したという
SF小説『フラネンシュタインあるいは現代のプロメテウス』を原案とした
物語をNetflixでギレルモ・デル・トロが描いた
『フランケンシュタイン』。
これまでも幾度か映像化されてきた『フランケンシュタイン』
ですが、本作は一味違う何かが隠されているようです。
そんな秘密が判明するラストはどうなるのか?
怪物の真の正体とは何か?に迫ります。
Netflix『フランケンシュタイン』あらすじ
ギレルモ・デル・トロ監督作品
— Netflix Japan | ネットフリックス (@NetflixJP) October 14, 2025
Netflix映画『フランケンシュタイン』
10月24日一部劇場公開
11月7日独占配信スタート
出演
オスカー・アイザック
ジェイコブ・エロルディ
ミア・ゴス
フェリックス・カメラー
クリストフ・ヴァルツ
共に、“怪物”の領域へ——#フランケンシュタイン pic.twitter.com/L8ScCXFmCS
北極点へ向かっていた探査船が氷で立ち往生していた。
それでも厳しい状況の中、船員たちを顧みず先へ進もうとする船長と、
気力が限界に達し故郷へ帰りたい船員たちの間に溝ができ始めていた。
そんな矢先、彼らは倒れていた一人の男性を救助する。
しかしその背後から現れた大男は
救助した男性を奪うべく、船員たちをなぎ倒して行った。
それでも男性を客人だと迎え入れる船長に彼は
事の経緯を語りはじめる。
倒れていた男性はヴィクター・フランケンシュタインと名乗った。
自分は怪物を創ってしまったのだと言う。
その怪物とは背後から追って来た大男のことを述べている。
なぜそんな怪物を創ってしまったのか?
その答えはヴィクターの幼少期に関係していた・・・。
キャスト
オスカー・アイザック、ジェイコブ・エロルディ、クリストフ・ヴァルツ、ミア・ゴス、
フェリックス・カマラ―、チャールズ・ダンス、ディビット・ブラッドリー 他
以下、結末までのネタバレを含みます。
未視聴の方はお気をつけください。
本記事の情報は2025年11月時点のものです。
最新の情報は各サイトにてご確認くださいませ。
『フランケンシュタイン』ラストをネタバレ解説
幼少期に厳格な父に支配的ともとれるような英才教育を受けていたヴィクターにとって、
母親との時間だけが安らぎのひと時でした。
しかし母親はヴィクターの弟を出産時、
命を落としてしまうのです。
誕生したヴィクターの弟・ウィリアムは優しく父親にも従順だった故、
邪険に扱われるようになったヴィクターとは裏腹に父からの愛情を独占していました。
母の出産時には両親の仲が不穏に陥っていたため、
ヴィクターは、実は母親を邪魔に思っていた父親が出産時、
母の命を助けなかったのではないかという疑念と憎しみを抱いて育ったのです。
それ故、大切だった母親への思いや失った悲しみはヴィクターを
死に打ち勝つための人間の創造という
執着へと駆り立てたのでした。
生命の創造者となる
大人になったヴィクターは電力を用いて肉体を蘇生させることに成功するのでした。
しかしその研究結果を見ていた者に恐怖と非難の感情を呼び起こして非難を浴びるのでした。
そんな中、ヴィクターのために巨額の支援金を放出してくれると
申し出たのがハインリヒ・ハーランダーでした。
ハーランダーはウィリアムの婚約者であるエリザベスの叔父でした。
これを受けてヴィクターは戦争で命を落とした者や
罪を犯して罰が施行された者の亡骸を集め、
人体を蘇生する一歩寸前を迎えます。
しかしこの時、実は病に侵されていたハイランダーが
蘇生する人体に自身を使って欲しいと哀願したのです。
健康な体ではないと失敗に終わると拒否するヴィクターともみ合いになり
ハイランダーは命を落としてしまいました。
その直後、ついにヴィクターの研究は
生命を創り出すことに成功したのでした。
生み出したのは怪物という名の失敗作
ヴィクターはすさまじい治癒能力と強度な肉体を持って目覚めた
彼を前に一旦は歓喜するものの、覚えた言葉は『ヴィクター』のみでした。
それ以降、ヴィクターとは度々発するものの、
思い通りに動くことも成長を見せることも
意志の疎通もできない彼を失敗作だと嘆くのでした。
ところが、ただの「怪物」(以下、彼)を作り出してしまったと苛立ちを見せる
ヴィクターとは裏腹に彼にはちゃんと心があると慈愛をみせるのはエリザベスでした。
彼もまたそんなエリザベスに心を開き始めていました。
しかしヴィクターはエリザベスやウィリアムを追い返すと、
研究塔ごと彼を消し去ろうと火を放ったのでした。
「怪物」の視点
そこまでの経緯をヴィクターが話していると、船長が海底へ沈めたはずの
彼がやってきたのです。
彼はヴィクターから聞いた知識も感情も持たない「怪物」とはまるで別人のように
流暢な言葉を話しました。
そして彼はヴィクターの話を聞いていた船長に自分の視点からも
話してやろうと切り出しました。
ヴィクターによって消されるべく火を放たれた彼は命からがら逃げだすことに成功し、
負傷を負ったものの、それはすぐに完治し、動物と戯れていました。
しかしその風貌から人からは恐れられ銃撃を受けることになり
見つけた小屋に逃げ込み隠れて潜んでいました。
そこには家族が住んでおり、盲目の祖父は孫に
言語を教えていました。
壁を隔てて自分も言葉を学んだ彼は段々と話すことを習得していきました。
狼の襲撃で家畜の被害に遭うことに懸念を示していたその家族のために
彼は柵を作るなどして影ながら尽くしていました。
家族は森の精霊がやって来てくれたと感謝します。
しかし祖父は気づいていたのです。
森の精霊と称したその人物が壁の向こうに潜んでいることを。
ある日、祖父は家族の留守中に彼を受け入れ
一緒に読書をしたり話をしたりして交流しました。
自分が何者なのかわからないという彼に祖父は
見つけて来いと激励します。
そこで彼はあの塔へ戻り、自身は亡骸から創られた存在であること、
創ったのはヴィクターであることを知りました。
祖父の元へ戻ると、祖父は狼の群れに襲われ
重傷を負っていました。
狼を撃退した彼は自分は怪物だったと真実を打ち明けますが、
祖父は「君は友人だ」と言って息を引き取ったのでした。
本当の怪物は・・・
ウィリアムとエリザベスの結婚式会場に居たヴィクターの前に姿を
現した彼は、不死身の自分と一緒に過ごしてくれる「伴侶が欲しい」と願います。
しかしヴィクターは、二度と怪物を創りたくない
と拒絶しました。
心底傲慢なヴィクターに怒りを覚え、暴れ出す彼。
そこへエリザベスが現れ、生きていたことに喜びを示したのも
束の間、ヴィクターが彼に放った銃弾を受け倒れてしまいました。
この騒ぎに駆け付けたウィリアムらにヴィクターは、
エリザベスを攻撃したのはそこの怪物であると嘘をつきます。
それを聞いたウィリアム婚約者を奪われた悲しみに
襲い掛かりますが投げ飛ばされ身体を強打してしまいました。
ヴィクターは弟にかけよりますが、
ウィリアムは
「兄さんこそが怪物だ」
とい残して息を引き取りました。
人間の証明
重傷のエリザベスを抱えて出ていく彼と
2人を追うヴィクター。
ヴィクターが2人に追いついた時、
すでにエリザベスは息絶えていました。
自身もエリザベスの後を追いたいと願う彼でしたが
永遠の命を手放すことは不可能だったのです。
これまでの彼が怪物として経験してきた一部始終を船長に語り終えると
ヴィクターは初めて、彼の痛みや悲しみを知ることとなりました。
「本当にすまなかった。許してくれ息子よ」
というヴィクターの心からの後悔と謝罪、そして初めて見せた愛情の言葉。
それを受けた彼はヴィクターを赦すと言います。
ヴィクターもまた彼に
「生きろ」
と告げると静かに息を引き取るのでした。
彼は船長の船を海へ押し戻し進めるよう尽力しました。
ヴィクターと怪物と呼ばれた彼の話、
船を動かしてくれた彼の行動を受けて、
船長もまた故郷へ帰ろうと決意し船員たちもその決断に
歓喜の声を上げたのでした。
氷上でたった一人きりになってしまった彼は
朝日が雲を染める光景に涙を流すのでした。
『フランケンシュタイン』の「怪物」の正体に迫る
「怪物」と呼ばれ不死身の身体を持ち、人から忌み嫌われ刃を向けられながら
隠れて生きるしかない彼。
しかし本当の「怪物」は彼ではなく
それを創り出した人間の強欲さ、傲慢な心なのではないでしょうか。
怪物が誕生した瞬間
ヴィクターの幼少期、厳格で支配的な父親の教えは
幼い少年の心を圧迫し苦しめていました。
物理的に隠れるしかなかった怪物のように、
ひたすらに自身の感情を抑えて生きて来たヴィクター。
そんなヴィクターのたった一つの支えであり光だったのは
母親の愛情でした。
父親はそれさえもあっけなくヴィクターから取り上げたのです。
(その真実は不明ですが。)
もしも父親が母を全力で助けなかったとして、
それは医師たるもの、人間たるものとしては
あまりにも傲慢な非情な行為です。
そんな姿を父親に投影し、悲しみも怒りもぶつける場所を
見失ったヴィクター少年もまたやがて父親のようになってしまった
と言えるでしょう。
まるで人間を誕生させた神のように命を創り出すことに成功した
と喜ぶヴィクターは人が超えてはならない一線を越えたのです。
その傲慢さが成し遂げたのは神聖なものを汚す行為以外の
なにものでもありませんでした。
そうして身勝手に創り上げたその命をヴィクターは
大切に扱うことさえしませんでした。
目の前の命が自分の思うように動かないのを垣間見ると
途端に「怪物」と言い放ち、手を差し伸べることも
教えることも、愛情を注ぐことも拒んだのです。
それは奇しくも、父親が弟・ウイリアムの誕生を機に
ヴィクターに行った仕打ちに酷似していないでしょうか。
父親の愛情を受け、温暖の中で育ったウィリアムが
兄に恐怖心を抱き、最後に「怪物は兄さんだ」と言ったように、
傲慢で非情で人の気持ちを考えられず、保身のために誰かを傷つけることも
いとわない、そんなヴィクターこそが真の怪物の正体だと言えるでしょう。
ロバート・デ・ニーロ版との違い
※以下、ロバート・デ・ニーロ版『フランケンシュタイン』の
ネタバレを含みます。
これまでにも「フランケンシュタイン」の題材を扱った人は
数知れずともロバート・デ・ニーロ(以下デニーロ)版が印象的な
視聴者も多いのではないでしょうか。
デニーロのフランケンシュタインもまた
望まず醜く創られた悲しみや怒りといった複雑な感情が
描かれました。
しかし本作との決定的な違いは
その見た目の怖さももちろんのこと、
創造主と心を通じ合わせることが出来なかった
という点にあるのではないでしょうか。
それは最後までデニーロ怪物が怪物として見られたまま
ラストを迎えたことに所以するのでしょう。
それ故、デニーロ怪物は人間になる機会を与えられることは
なかったというバッドエンドと言えるのではないでしょうか。
(ちなみにこちらの方が原作通りと言ます。)
しかし本作のヴィクターはラストで怪物の中に、自身と同じ痛みや悲しみ、
怒りや葛藤といった人間ならではの苦悩や感情を抱え
それでも生きていくしかない姿を見たのです。
それは彼を自分と同じ一人の人間として、自身が生み出した息子として
受け止めた瞬間でした。
自分の傲慢さや執着はこんなにも大きな苦しみを
息子に与え続けてしまった。
自分が憎み続けた父親と同じではないか?
むしろそれ以上の非情な行いではないか?
そう感じて初めて心からの後悔と謝罪を打ち明けました。
そして父親として愛情を込めて、息子にはそれでもどうか生きて欲しいと
願ったのです。
ヴィクターの後悔も謝罪も愛情も全て感じ取れたからこそ
怪物の彼は憎み嫌い続けた父親を赦しました。
赦すことができることこそ彼が人である
またはそれ以上に崇高な証なのではないでしょうか。
『フランケンシュタイン』感想
デニーロ版との違いでも触れましたが、
怪物と呼ぶには似つかわしくない外見の新生フランケンシュタインでした。
『x』シリーズで知られるミア・ゴスが
何かやらかしてくれるのか?とドキドキしていました。
その答えはヴィクターの母親と思い人の2役を演じていた
というからくりだったから驚きでした。
ヴィクターがエリザベスに惹かれたのは彼女を見ていたというよりも
彼女の中の母の面影を追い求めたということだったのかもしれませんね。
本作ではこのエリザべスがヴィクターの婚約者ではなく弟の婚約者という点も
斬新でした。
さらに弟にもヴィクターにも心を預けることなく、彼女は興味を抱いた相手は
怪物くんだったのです。
個人的には、これに怒り心頭で嫉妬心にまみれたヴィクターが、
エリザベスにあたっても構わない体で発砲したような気がして
つくづく救いようがない醜い心の持ち主だという疑念を抱くことになりました。
そんな身勝手なヴィクターは最後まで
怪物を救うことは出来ないのですが、
一方の彼の方はヴィクターに対しての怒りを鎮め、赦しを与えて
旅立たせてあげるという慈愛の精神を見せたのです。
もはや怪物の面影はなく、人間以上の尊さの持ち主だと言えるでしょう。
この結末にみなさんが見たのは何でしょうか。
筆者にもまた今までの人生でどうしても許すことができない
という相手は存在します。
そしてこの先も実際に赦すことが出来るのかどうかもわかりません。
しかし勝手に赦せないと燃え滾っているのもまたこちらの意見であり、
相手からの言い分を聞いたらどう転ぶのかわからないのかもしれません。
人はそうやって、時には誰かを傷つけたり、争ったりする生き物なのでしょう。
それでもできることなら相手の気持ちも顧みて、
赦すこと、自身が改めること、対話をして必要なら謝るという潔さ、
そんな積み重ねが、平穏で幸せな日々をもたらしてくれるのかもしれません。
その相手が家族ならなおさら。
私たちは怪物ではないのだから・・・。
そんな風に思わせてくれる一作でした。
