1998年にVシネマとして公開された黒沢清監督のサスペンス映画『蛇の道』(主演・哀川翔)を
舞台をパリに移し、主演に柴咲コウを迎えてセルフリメイクした
『蛇の道』
復讐劇故に、ラストは後味の悪い作品にすることを心掛けたのだそうです。
その甲斐あって、期待通りの驚愕のラストを迎える本作。
あのラストの意味はどういうことなのか?
本作でのみの設定の西島秀俊が扮する吉村の役どころ、
そして主人公のパートナーの存在などにも着目して推察しています。
この記事のポイント
・ラストの意味と夫の秘密
・吉村の登場の意味
『蛇の道』あらすじ
📣配信情報
— 映画『蛇の道』公式【6月14日(金)全国劇場公開】 (@eigahebinomichi) November 11, 2024
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わずか8歳の我が子を何者かの手によって殺されてしまった
アルベール・バシュレ。
彼の生きる糧は、その何者かの正体を探り
娘の復習を遂げることだった。
そんな時、アルベールは病院で精神科医の新島小夜子に声をかけられる。
それ以来、復讐の協力を惜しみなくしてくれる小夜子と共に、
アルベールはある財団に所属する幹部の男性を拉致する。
その男性を監禁し拷問することで犯人の正体を暴こうとする2人。
捕らえられた男性は犯人らしき名前を言うが、
その人物を捕らえると言いがかりだと諭す。
そのように罪を擦り付けあう者たち。
娘を手にかけた人物とは誰なのか?
そしてその目的とは?
アルベールと小夜子は真実にたどり着くことができるのか
キャスト
柴咲コウ、ダミアン・ボナール、マチュー・アマルリック、グレゴワール・コラン、
西島秀俊、青木崇高 他
※U-NEXTでは1998年公開版(主演:哀川翔)見放題視聴できますよ!
またその続編『蜘蛛の瞳』(哀川翔版のみ)も見放題です!
以下、結末までのネタバレを含みます。
未視聴の方はご注意ください。
本記事の情報は2025年1月時点のものです。
最新の配信状況は各サイトにてご確認くださいませ。
ラストの意味と夫の秘密
子供たちの売買や臓器の売買、殺戮を繰り返していた財団の
創始者はもう他界していました。
しかしその立場を継承したのが他でもないアルベールの妻ローラだったのです。
子供たちに慕われ囲まれていたローラに詰め寄るアルベールでしたが、
彼女は自らは育児放棄をしたのと同様であるとし、さらには
自分の娘を財団に売った張本人こそアルベールなのだと告白しました。
そしてアルベールは襲いかかってきたローラを射殺し、
彼の復習は幕をとじたかのように思われました。
その時、背後から小夜子が詰め寄ります。
アルベールが気が付くと、財団の幹部にしたように
自身も繋がれていました。
アルベールと同様、娘を失くしたはずの小夜子に受ける
仕打ち。
どういうことなのか訳がわからず困惑するアルベールに
小夜子は『あんたが一番嫌い』なのだと言います。
子どもたちが惨殺される様子を録画した動画が存在し、
その内容を知らず、販売していたのがアルベールだったのです。
小夜子は繋がれたアルベールに、彼の娘の動画を見るように
促し、目の前に置いた画面で再生して去って行きました。
小夜子が自宅に戻ると夫の宗一郎が上機嫌でズームをしてきました。
彼は一緒に暮らしていなくとも、時々小夜子の元気な姿が見られれば
安心するのだと言います。
続けて2人は相性がいいから、
もしも2人だけだったならもっと関係がうまく行ったのだと
示唆する発言をしました。
すると小夜子は宗一郎に詰め寄ります。
『娘を売ったのはあなたね。』
宗一郎の表情が凍りつきますが、
その顔を睨みつける視線はまるで蛇の目のようでした。
復讐の終着点はない
このラストシーンで描かれた意味は何だったのでしょうか。
アルベールへの復習をもって小夜子の復讐もまた終わりを告げるはずでした。
しかし、
小夜子はアルベールが娘を売った張本人だったように、
そそくさと一人で日本へ帰国し、楽し気な毎日を送る夫こそ
娘の命を奪った発端なのだという結論に達しました。
黒幕の正体が明確に描かれなかったように、
小夜子自身の憎悪はその標的を捕らえるまでにはいかず、
歩き出した道を引き返すことは二度とないという、
復讐とはそういうものだと示されたのだと思います。
夫が隠していたこと
小夜子の疑いは事実なのか。
それが気になるところではないでしょうか。
しかしその真実が明かされることはありませんでした。
もし、小夜子の言う通り、宗一郎が関与していたとすれば、
一人で帰国したのは、罪の意識から逃れるためで、
定期的に小夜子の様子を伺うのは、
小夜子に宗一郎の秘密が露呈していないかを確かめるため
と推察できます。
一方でもしも、宗一郎に対する嫌疑が全くの濡れ衣だった場合、
小夜子が言っていたように、終わることができない恐怖の渦へ
彼女が落ちてしまったことの示唆であり、
その後もいわれなき復讐が続いていくという未来を描いたのでしょう。
吉村の登場の意味
吉村はフランス語が話せず、望んで来たわけではないフランスでの生活が
彼を苦しめていました。
そして精神的に不安定になった吉村は小夜子の元を訪れました。
精神安定剤も効果はなく、
小夜子が渡した薬を毒ではないか?と疑うまでに乱心していました。
小夜子はそんな吉村に日本に帰国することを勧めますが、
彼は帰国したら人生が終わると言いました。
しかし小夜子は『終わらないことの方が怖いことでしょう。あなたならできますよ。』
と返すのでした。
その後、吉村の亡骸が小夜子の病院に運ばれてきました。
付き添った女性は悲痛な思いで、一瞬のことだった。
終わらせると言って自ら命を絶ったのだと言いました。
小夜子は救おうとしたのか?それとも…
精神的にまいって、もろくなっている心を持する吉村に対し、
『終わらないことの方が怖い』
という助言をした小夜子。
その言葉の裏に込められていた意味は何だったのでしょうか。
患者を思う医者の言葉ならば、
いっそ帰国してしまえば、その時は苦しくとも、
後から思えば、フランスに居続けたことの方が辛いのだと、
その苦悩の場からひとまず退くことを勧めたととれる言葉です。
しかし一方で、『終わらせてしまえば楽になる』
という優しく残酷な悪魔のようなささやきにも聞こえなくはない
というのが率直な印象でしょうか。
実際、冷たくなって運ばれてきた吉村を迎える
小夜子の表情は、付き添いの女性とは対照的に、
微塵の悲痛さも秘めてはいなかったと感じました。
吉村は小夜子の希望
小夜子は娘を失っても
何食わぬ顔でフランスで精神科医の仕事を続けていました。
吉村が肌に合わない地に縛られる苦悩と同様、
小夜子の苦悩は、悲惨な記憶の残るその地から離れるという選択肢を自ら捨てたこと。
そしてすでに生きる希望さえ持さない小夜子の本音は自身も
娘の元へ行きたいということだったのではないでしょうか。
それでも復讐を成し遂げることなくしてその道はないのです。
そうしてその道を選んだ以上は感情など邪魔なだけなのかもしれません。
だからこそ、その道を選べる吉村を羨ましく思い、
自身の苦悩と比べたりもし、複雑で冷酷な思いで
まるで自分に言い聞かせるように、そっと背中を押したのかもしれません。
『蛇の道』感想とその他の考察
アルベールと小夜子が初対面の場面で、
小夜子の目はすでに蛇のような冷たい視線に見えました。
ひょっとすると、この時にはすでに復讐は始まっていたのではないかと
勘ぐってしまいます。
つまりは、娘の事件について入念に調べ上げた小夜子は、
誰がどう関わっていたのかを突き止めたのです。
アルベールは被害者面をしているけれど、
実は娘を売った張本人だということ、
知らずとはいえ、動画を売り捌いていたこともしかり。
そうして始まった復讐の第一歩は直接手を下した相手。
自ら命を絶ったとされる財団の創始者は
小夜子にとっては実行犯であり、
アルベールに近づいた時には、
すでに彼女の命を奪っていて、事件を偽装したのではなかろうか?と。
最初の宗一郎からのズームに、応答はしたものの
姿を見せない小夜子が印象的でした。
宗一郎と娘との3人の生活が小夜子にとって幸せな時間だったこと、
そんな証を共有する唯一の相手である宗一郎に、
現在の復讐の鬼と化した姿を見せたくなかったのではないか?
とも思いました。
ならばこの時点で宗一郎が強く小夜子の帰国を望めば、
迎えに出向いてさえいれば、あるいは復讐は始まらなかった可能性もあったの
かもしれません。
夫婦別居に至った経緯や、宗一郎の娘に関する気持ちなどが
描かれず、想像が膨らみます。
娘の事件に宗一郎が関与したのかどうか。
そこは本作のテーマにおいて重要ではないのかもしれませんが、
あえて推察するならば、筆者的には宗一郎は関与したと解釈しています。
アルベールとローラ、それは宗一郎と小夜子の写し鏡だったのではないか
と感じたからです。
最後のアルベルトとローラの会話、その後、宗一郎と会話を交わす中で
何かピンときてしまった。
というところではないでしょうか。
あの後、小夜子は宗一郎を追い詰めるのだろうと想像すると
続編の『蜘蛛の瞳』(哀川翔版のみ)が気になる一作です。