ネタバレ考察【聖なる鹿殺し】は意味不明?回収されない謎、テーマは何?

洋画
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最新作【哀れなるものたち】が話題になっている
ヨルゴス・ランティモス監督。
【籠の中の乙女】【ロブスター】を手掛けたことでも有名です。

今回はそんなヨルゴス監督の2017年に公開された
【聖なる鹿殺し】をご紹介していきます。

鬱映画ランキングの上位に入ること必至な本作。
ご視聴は慎重になさってくださいませ。

この記事では、

演出が意味不明

この謎は回収されないの?

といった疑問にお応えするべく、一個人の解釈を述べています。
少しでもお悩みのヒントとなりましたら幸いです。

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【聖なる鹿殺し】あらすじ

心臓外科医のスティーブンは眼科医の妻アナと二人の子どもにも恵まれ
豪邸での幸せな暮らしを送っていました。

しかしそんなスティーブンには秘密裏に密会している
マーティンという16歳の少年の存在がありました。

スティーブンはマーティンに高級腕時計をプレゼントしたり
一緒に食事をしたりと、何かにつけて気にかけて親切にしていました。

そんな折、自分の家族にマーティンを紹介することに。

スティーブンの家族に手土産を持参したマーティンに
アナは好感をもち、キムも好意を抱きます。
その一方でボブはマーティンを警戒しているようでした。

しかしその頃を境にスティーブンの家族に異変が
起こり始めるのです・・・。

スティーブンがマーティンの素性を家族に秘密にしている理由とは
何なのか?

キャスト
コリン・ファレル、ニコール・キッドマン、バリー・コーガン、
ラフィー・キャシディ、サニー・スリッチ、

アリシア・シルヴァー・ストーン 

【聖なる鹿殺し】を視聴するには

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以下、作品のネタバレを含みます。
ご視聴後のご来訪をお待ちしております。

本記事の情報は2024年2月時点のものです。
最新の情報は各サイトにてご確認くださいませ。

ギリシャ神話が元ネタになっている

本作を鑑賞するうえで、可能ならば事前に目を通しておきたいのが
元ネタになっているギリシャ神話です。

『アウリスのイーピゲネイア』という悲劇です。

この神話の詳細は省きますが、
神話の登場人物であるアガメムノーン王が狩猟の女神アルテミスの可愛がっていた鹿を
殺してしまった際に、謝罪をするどころか
〖アルテミスよりも自分の方が狩りがうまい〗と豪語しているのを
知られ、アルテミスの怒りを買ったことから
自らの娘を生贄に捧げる結果を導いてしまったというものです。

アガメムノーンは優柔不断な人物でした。
そんな中で生贄を捧げるに至る決定打になったのは、
ギリシャ軍か娘かという命を天秤にかけたためです。

愛する娘だとしても1人の命より、ギリシャ軍全員の多くの命の方が重い。

そう判断したのです。
いわば1人を犠牲にして多くの命を救う選択でした。

もっともこの神話のラストには諸説あって
イーピゲネイアの代わりに一頭の牡鹿が身代わりになったとされる説
もあるんです。

ではその場合イーピゲネイアはどうなったのかというと
アルテミス神殿の巫女になったとされています。

意味不明な演出とその真意

本作の醍醐味の一つには意味不明さがあります。
中でも際立っているのは作中のカメラワークではないでしょうか。
その写し方が恐怖を沸き立たせています。

冒頭の心臓シーン

例えば冒頭のシーン。
いきなりドアップの心臓から始まります。
筆者はこの場面は凝視できませんでした。

そんな風にあの場面が全く平気な人も居るとは思いますが、
筆者のように全く見られないという視聴者も存在するでしょう。

しかし、そんな強烈な現実を凝視しなくてはいけない。
それが本作の主人公スティーブンの心臓外科医という仕事なんですね。

そして、もちろんそれを扱う以上、スティーブンは命を握っている
だからこそメスを握るのも命がけで行う(べき)
ともとれるのではないでしょうか。

ちなみにこの心臓シーンは本物の映像だということで
とてもショッキングです。

何者かわからない視線

病院から帰宅しようとする息子のボブが、エスカレーターを降りようとする
直前で足が動かなくなり倒れてしまう。

その様子を遥か上空方面から見ているかのようなカメラワークがあります。

そして、登場人物を後ろから追うようなカメラワークも。

どちらとも、まるでもう一人、画面には映らない何者かが〖見ている〗
ことを表しているようでした。

回収されない謎

謎が謎を呼ぶ本作。
なのに謎は謎のまま幕を閉じてしまうのです。

この謎、どんな答えを導きだしましたか?

以下、筆者の答えを綴っています。

マーティンへのプレゼント

スティーブンは革製のベルトで、100m防水仕様の腕時計を愛用しています。
しかしマーティンにプレゼントしたのは同僚のお気に入りの
200m防水仕様で金属製の腕時計。

自分の好みとは違う物をプレゼントする意味は、
〖距離を置きたい〗
という本音の表れではないでしょうか。

同僚にもマーティンの正体で嘘をつき、
事前の連絡なくしては会いに来てはいけないと忠告するのは
実はスティーブンにとってのマーティンは煙たい存在だからです。

脇毛の濃さが3倍

マーティンよりもパパの方が
『脇毛の濃さが3倍だ』
という謎すぎるボブのパパ自慢。

ボブはマーティンの悪意を潜在的に察知しており
警戒心からパパの偉大さを誇示しているのかもしれません。

病室で寝ていたキムの異変

マーティンと電話をしている間だけキムが歩けるようになっていました。

マーティンを崇拝するキムがマーテインを信じすぎて
足が動かないという自己暗示にかかっている可能性もあると思いました。

もしくは、

やはりボブやキムの足の異常は医者の手によって治せるもの
ではなく、元通りに出来るとすればそれは
マーティン(側)の人のみなのだという絶望感を示したもの。

アナには症状が出ないのは何故か

キムの症状自体が自己暗示だった場合は、
アナはマーテインに心酔していないし、あくまで悲劇の元凶はスティーブン
であり自分に落ち度はないという強い意志による保身が作用しているので
症状も出なかった。

または、
今回の代償はあくまで愛する人を失ったといもの。

スティーブンとアナとの間に愛情が存在しないのであれば
アナだけが発動をしないのも当然なのかもしれません。

マーティンの言動の謎

スティーブンの家族を襲った謎の不調。
医療では解明できなかったそれらは一体何だったのでしょうか?

マーテインはどうやってそれを成し遂げたのでしょう。

そんな謎をマーティンの言動から推察してみました。

マーティンも使者にすぎない⁈

●ボブに不調がきた時の

今に最悪な瞬間がくる。ついに始まったんだ。

『始めた』という能動的な表現ではなく
『始まった』という発言によって自ら動いたというよりは
目にした光景から認識したような表現になっていると感じます。

●キムに自分も恨まれているか問われた時の

整理はついているし、先生には同情している。

『整理はついている』ならば代償はいらないかもしれません。
『先生に同情』しているのは、少しやりすぎな気もして可哀そうに思っているから。

もし、マーティン自身が首謀者だった場合、
少し表現に違和感を覚えます。

なのでマーティンの役目は、
ある時にはスティーブンに謝罪や自責の念を求め
ある時にはスティーブンに償いを催促し、
どれも叶わなかった今、スティーブンに起こっていることを信用させ
正義の選択を促すことだったのではないでしょうか。

黒幕は他にいる?!

だとしたら、マーティンを従えているのは何者なのか?

マーティンの母親でしょうか?
マーティンの母親は愛する人を亡くし、最も心に傷を負い、
最もマーティンを憎む人だと言えるでしょう。

しかしながら登場する母親にはそんな悲愴感も憤りも感じとることは
できませんでした。
そもそもあの母親は本物なのか?という疑問さえ沸き上がりました。

では、被害者本人である父親の魂?
筆者が推すのはこの説です。

被害者本人の『その時』が一切描かれない本作。
ですが、外科医の怠慢により命を軽んじられたともとれる
その対象に、悔しさや無念があふれ出したのではないでしょうか。

そんな状態の魂は穏やかに眠ることは出来なかったのかも
しれません。

もしくは説明の出来ない存在の力。
もはや勘ぐること自体が無粋な存在の仕業なのでしょうか。

だとすれば、特に何の山場でもない場面でなりだす
心臓の鼓動のような効果音にも説明がつきそうですね。

テーマの考察

スティーブンが飲酒をして執刀したことが必ずしも
悲劇を招いたのかどうかは立証できません。

しかしながら命を預かる外科医がその大切さを理解していないこと
それ自体が問題なのです。

だからこの悲劇は始まりました。

そんな本作で描かれるテーマは
〖命の重さ〗ではないでしょうか。

命の大切さをもう一度考えて欲しい外科医。
命の代償は命であるべきなのか?
愛する息子を犠牲にしても2人の命という重さを選択した意味。

そもそも命を命で解決することの是非を問いているのだと思いました。

正義とは

マーティンの父親は命を亡くしたのだから
スティーブンの家からも1人命を削らないと
バランスがとれない。

それがマーティンの言う正義でした。

アナはマーティンに、罪を犯したスティーブン本人ではなく
なぜ家族が犠牲にならなくてはいけないのか?

と問いました。

マーティンの答えは、スパゲッティの話に例え、
命ならば誰の物でも同じだからだと言いました。

もしも、ステーィブンが奪った命だから、憎いスティーブンの命を
差し出せと要求したら、
それは復讐になってしまう

あくまでも等価交換であり代償を支払わせる行為。
それがマーティンの言う正義なのではないでしょうか。

家族にまつわる心境

『自分の命』がかけられたことによって
幸せだった家族は一変してしまいます。

姉のキムは弟のボブに犠牲になって欲しいと願います。
二人を産んだ母親は、我が子の命を差し出すことを
望みました。

スティーブン本人もまた犠牲を選べないから赤の他人の先生に
優秀な命はどちらかと問うのです。

誰しもが自分の命は重いですよね。
他人のそれと比べて自分のを優先したくなる気持ち、
きれいごとではないでしょう。

しかし、家族という大切な存在だから、
せめてそれだけは守りたいと思えるそんな人
家族に存在することが本当の幸せなのかもしれません。

その他の考察と感想

本作のタイトルがとても意味深ですよね。
【聖なる鹿 殺し】

ギリシャ神話の中に出て来る『聖なる鹿』がモチーフなのでしょうが
あえて劇中で『聖なる鹿』は何を象徴しているのか?
と考えると、
マーティンの父親かボブのどちらかといえるでしょう。

そしてボブであるのならば、
最初から犠牲になるのはボブだと決まっていたということです。

ボブだけが自分の命がかけられていても
その灯が消えようとしていても、家族を売ることはしませんでした。

そしてマーティンに対しては、
自分の父親の方がスゴイのだと誇示するほど
敵対心を抱いており、自分が絶体絶命になってもなお
マーティンにひれ伏すことはありませんでした。

家族の中でたった一人の小さくて尊い命でした。

その命を犠牲にして
生きながらえた家族が楽になる日は二度と来ない・・・。

という物語のその後を連想させるような
ダイナーでのラストシーンでした。

本当は、マーティンはスティーブンにチャンスを
与えていたのだと思います。

最初に心から謝罪すれば良かったのかもしれません。
事の発端であるスティーブンがマーティンに近づくこと自体
マーティンにとっては傷をえぐられる行為でした。

マーティンの母親と親密になり、母親とマーティン自身の傷を
埋めるという方法もありました。

どの提案も却下した結果、
スティーブンが家族の誰かを犠牲にするか
全員犠牲になるか以外に選択肢がなくなったかのようでした。

しかし本当にそうだったのでしょうか。

マーティンがスパゲッティの食べ方は誰でも同じだと言ったように
命なら誰の物でも良かったのなら、

スティーブンが家族を犠牲にするなど出来ないとして、
自ら命を絶っていても、悲劇はそこで止まったのではないのか
と思います。

そのように、マーティンは最後まで、スティーブン自身が
後悔し、懺悔し、家族を守る道も残していたのではないでしょうか。

しかしスティーブン自身の心境に変化はありませんでした。

その報いとしてスティーブンにとって
最も聖なる人物が犠牲になったのは必然だったといえるでしょう。


ラストのフライドポテト、
マーティンは好物ゆえに最後に食べるフライドポテトを
ケチャップをかけまくって最初に食べるキム。

これは何を意味するのか?
まだまだ考えることがありそうな一作です。

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