映画『あんのこと』結末はどうなる?実話と異なる場面に秘められた意味

邦画
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河合優実が壮絶な人生を生きる主役を演じた
『あんのこと』

実話がモチーフになっているという本作の中で、
監督はあるフィクションの展開を加えました。

それはどんな場面か?
その物語に秘められた意味とは何か?

衝撃の結末と共に
ネタバレ解説、考察しています。

この記事のポイント
実話と異なる場面に秘められた意味
残酷な結末が示す希望

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『あんのこと』あらすじ

香川杏は母親の春海と足が不自由な祖母の恵美子の3人暮らしをしている。

杏は幼少の頃から春海に虐待を繰り返し受けており、小学4年生で不登校となり、
12歳で売春を強いられた。

それきり通学をしないまま21歳になった杏は
自分を犠牲にして母親と祖母の生活を支え、薬物依存症となっていた。

そんな生活を送るある日、客の男性が薬物摂取による中毒症状に陥ったため、
一緒に居た杏も逃げ切れず逮捕されてしまう。

そこで出会ったのは刑事の多々羅保だった。

多々羅は取り調べの場で突然ヨガを踊り出すなど、
一風変わった刑事だった。

その後、杏を見捨てることはなかった多々羅は、
自分を大切にするように促し、生活保護の申請の手伝いをする。

そんな多々羅に少しずつ心を開いて行く杏。

多々羅の主催するサルベージ赤羽という薬物更生者の施設へも
出入りするようになり、施設を取材していたジャーナリストの
桐野と出会う。

多々羅と桐野のサポートにより
虐待をする母親から独立することも叶い、杏は順調に更生の道を
歩んでいた・・・。

キャスト
河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎、河井青葉、
広岡由里子、早見あかり
 他

以下、重要なネタバレが含まれます
未視聴の方はご注意ください。

本記事の内容は2024年9月時点のものです。
最新の配信状況は各サイトにてご確認くださいませ。

実話と異なる場面に秘められた意味

実話をもとに構成された物語の中で、
監督のある思いが秘められたフィクションが存在しています。

監督が描いた物語の背景

杏は隣人に突然、幼い隼人を押し付けられ
動揺しながらも懸命にお世話をします。

この場面は完全なフィクションでした。

杏は実母から酷い虐待を受け、傷つきすぎていました。

それでもが虐待を繰り返すどころか、
目の前の血の繋がりのない命を重んじ、
自分のことよりも小さな命を優先
したのです。

実話にないこのエピソードに込められた監督の思い。

それは、
虐待された子は虐待を継承する
と言われる中で、杏ならば、この負の連鎖を断ち切れた
のではないかという希望が生まれたのだと
インタビューで答えられていました。

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残酷な結末が示す希望

虐待を受けてきた子どもが親になった時、
その虐待を我が子へ繰り返す・・・

そんな悲劇を繰り返すのには、
虐待の傷が癒えていないからというのも
ひとつの要因なのではないでしょうか。

ともすれば、突然舞い込んできた隼人の面倒を見て、
言葉も喋らず、泣きわめくその子と意思を疎通させる。

その行為はその子への助けでありながら、
杏自身の傷を癒し、守る側になるという
生きる糧になっていたとも言えるのではないでしょうか。

杏は隼人のアレルギーに関することや、好きな食べ物、
嫌いな食べ物を几帳面に記していました。

そして日記を燃やして放置した裏で、
隼人のことを書いたページは最後まで握りしめたまま
だったのです。

杏は、頼っていた親代わりの様な存在の多々羅との
絆が経たれ、コロナは、仕事も学校も奪っていきました。

そんな中で残ったのは孤独だけだったのかもしれません。

日記につけてきた自分への肯定を示す〇印も途絶えてしまいます。

親からも信頼していた人からも、自分からも見捨てられた
そんな気がしたのかもしれません。

そんな絶望の中、たった一つの希望があるとすれば
それは隼人のことを書いたメモを握りしめていたこと。

隼人の命は守り切ったのだと・・・。

多々羅と桐野という希望

杏の気持ちが絶望で満たされてしまった要因に、
多々羅の逮捕、桐野のジャーナリストとしての正義は
無関係ではない
のでしょう。

それでも杏にとって2人は人生で初めて出会った
心から信頼できる大人だったことに代わりはありませんでした。

多々羅が居たから、薬物や売春から足を洗うことが出来、
杏を傷つける母親の元から脱出することも叶いました。

桐野が紹介してくれた介護施設では、
ありのままの杏を見てくれる施設長、
杏を訪ねて来た母親から守ろうとしてくれる施設の入居人。

彼らとの触れあいで、自己肯定が低く、誰にも愛情を貰えず、
生きることに後ろ向きだった杏は、
きっと生まれてきてよかったと思える瞬間
感じることが出来たのではないでしょうか。

女性と虐待のテーマ

本作では杏は母親の春海から精神的にも身体的にも
虐待を受けて育ちました。

こんな環境は現実にあり得るのか?目を疑う状況でした。

それでも杏が21歳まで家を抜け出すこともなく
辛い日々を耐え続けた理由は何だったのでしょうか。

母親との複雑な関係

一つはどんなに辛くあたられていても
実の親にはほんの微かな期待がなかなか
捨てきれないのかもしれません。

母親が何故、自分を大切に思ってくれないのか
その心情が理解できず、
いつかは母親が自分に愛情を注いでくれるかもしれない
という淡い期待を。

もう一つは杏は祖母のことを大切にしていました。
春海は恵美子に暴力を振るう描写はありませんでしたが、
自分を守ってくれたこともあると言う祖母を置き去りに
して行くことが出来なかった
のでしょう。

さらに、春海は娘である杏のことを
『ママ』
と呼んでいました。

至極違和感を覚えたこの呼び方。

春海は杏を母親の恵美子に見立てたのではないでしょうか。
足を悪くしているため働くこともできない恵美子。

しかし本来ならば自分の面倒を見るのはママの役目なのだ
という心理が、自分の生活費を稼がせている杏に向いたもの
だと思いました。

春海はまだ精神的に自立しておらず、
自分が母親という子を守る立場にたつことを拒み、
自分の子どもという存在を拒絶していると言えるでしょう。

また、恵美子の足が悪いという描写の裏側には
春海の父親もまた虐待する親だった可能性
捨てきれないのではないでしょうか。

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『あんのこと』感想

まだ約4年ほどしか経過していない
記憶にあたらしいコロナ禍。

無傷であった幸運な人はどのくらいいただろうか。

ある人は仕事を失い、ある人はとてつもない孤独を味わい、
苦しんだ。

筆者も然りで、人生が変わってしまったと言っても
過言ではありません。

本作では多々羅は逮捕されてしまったけれど、電話には出て欲しかった。

そして何より状況が違えば、
桐野はもしかしたら杏のもとへ不幸が起きる前に駆けつけ
ることができたのかもしれない。

そんな想像をすることは容易であり、
2人は救えた可能性を考えればこそいたたまれない思いに
かられたことでしょう。

多々羅と桐野が背負ったのは同じ罪。

多々羅は犯罪を犯し、それは決して許されることでは
ありません。

しかしながら多々羅の流した涙は本物であり、
杏を救ったのもまた彼であることを考えれば、
人が人の人生を助ける、一緒に背負うということの
助ける側の心の負担の大きさも計り知れないものなのでしょう。

人を1人救うことがいかに難しく、
個人に出来ることはほんの些細な事でしかない。

それでもそばに居る誰かを助けてあげたい
という気持ちが溢れる余裕のある社会になっていけば
いいのにな、と切に思います。

ラストでは『あんのこと』がぎっしり詰まった日記帳を燃やして
捨ててしまった杏。

それでも『隼人のこと』まで燃やせなかったのは
隼人に対する愛情が少なからず芽生えたからなのかも
しれません。

隼人もまた愛情を注いでくれる杏に
信頼の目を向けたに違いないのです。

そうして隼人が無事に母親の元へ帰れたのは、
杏がやり遂げた証であり、それはまた杏が生きた証である
とも言えます。

本作がせめて杏が絶望から救われる物語であった
と願いたい。

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