衝撃的なラストシーン『ドッグマン』のもう一つの解釈を深読み考察

洋画
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『レオン』『フィフス・エレメント』リュック・ベッソン監督が
実際の事件に着想を得て制作をした映画
『ドッグマン』

タイトルから想像できるようにワンちゃんたちがしっかりと
主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズの脇を固めている、
愛犬家にとっては涙なくしては見られないストーリーとなっています。

そんな物語の結末のあの意味はどういうことなのか?
ケイレブが演じるダグラスはどうなったのか?

気になる結末の解釈について深読み推察しています。
1つの解釈として温かい目線でご覧くださいませm(__)m

この記事のポイント
ダグラスが語った生涯
『ドッグマン』のラストシーンの意味とは?
虚構の世界が広がるもう一つの解釈

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『ドッグマン』あらすじ

30代白人の被疑者を探している警察の検問の前に、
一台の大型車が引き止められた。

その車を運転していたのは華やかな赤いドレスに金髪のウィッグを
被った人物だった。

しかしその人物の身体からは出血や傷跡が見られ、
挙動も不審だったことから、警察はその車の荷台を確認する。

するとそこには多数の犬たちが乗っていた。

車から降ろして確保するも、どちら側へ収監するのか
迷った警察は精神鑑定を女医のエヴリンに依頼する。

その時間は実に深夜の2時であったことから、
エヴリンは厄介な案件だと推測しながら向かった。

そして待ち受けていたその人物を探るべく、
会話を始めた・・・。

キャスト
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズジョニカ・T・ギブスグレース・パルマ
リンカーン・パウエルクリストファー・デナムマイケル・ガーザ 他

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以下、結末までのネタバレを含みます。
未視聴の方はご注意ください。

本記事の情報は2024年10月時点のものです。
最新の配信状況は各サイトにてご確認くださいませ。

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ダグラスが語った生涯

逮捕された金髪の人物はダグラスという男性でした。
彼は自分はどこもおかしくはないと言い、
これまでの壮絶な人生を語り始めました。

壮絶な子ども時代

ダグラスの家庭は暴力で支配していた父意地悪な兄
優しく弱い母との4人家族でした。

父は闘犬で生計をたてていたために、
大勢の犬を抱え、犬たちに闘う準備と称して食事を与えず
飢えさせていました。

そんな犬たちを不憫に思ったダグラスが自分の食事から
分け前を与えているところを兄に目撃されてしまいます。

当然、意地悪な兄は父に告げ口をし、ダグラスは
家族より犬が好きならば犬と暮らせばいい
と、犬のケージに入れられてしまい、そこから出して
貰えることはありませんでした。

新しい命を身ごもった母はダグラスに食事の蓄えを与えて
謝罪しながら家を出て行きました。

犬たちを守るために、妻が出て行き、益々ダグラスに対するあたりを強める父親
に逆らったダグラスは父が撃った銃弾に倒れてしまいます。

しかし犬が警察を誘導して、父と兄は逮捕され、
ダグラスはようやくケージから出ることができました。

そうして自由を得たダグラスでしたが、代わりに、その自由を満喫できない
身体
になってしまったのです。

自分の足で歩くことは、命を燃やし終わりに向かう
という代償を課されたダグラスは、
それから車椅子生活を余技なくされました。

虚構の王女サルマ

ケージから救出されたダグラスは施設へ移されましたが、
そこは広いケージのようだったと言います。

仲間を大切に思い、仲間を傷つける敵と闘う犬たち
と離れ離れになって、寂しさや、人間の愛憎まみれた複雑さ
痛感するのでした。

そんな中、サルマという施設での恩師に出会います。
彼女はシェークスピアや演劇、そしてメイクをダグラスに教えて
くれました。

メイクは別人になる術
現実の自分に満足しないなら、別人になればいい
鏡の自分か、こっちの自分かどちらが本物かという証拠はない。

子ども時代がトラウマになっているダグラスにとって
そんなサルマの言葉が胸に突き刺さります。

その後、施設を出て行ったサルマは演劇の世界で成功をおさめ
大人になったダグラスはその舞台を観劇しに出向くのでした。

ダグラスを覚えていてくれたサルマに、これまでのサルマの活躍を閉じ込めた
スクラップブックと花束を渡します。

プレゼントを喜んでくれたサルマとの思い出話に話を咲かせていると、
彼女の夫が入ってきました。
サルマは妊娠していると言います。

サルマの結婚を知らなかったダグラスは傷心で打ちひしがれ
自分に愛情を注いでくれるベイビーたち(犬たち)の待つ家へと帰りました。

マレーネの誕生

保護犬施設を運営していたダグラスでしたが、
国の経費節減を理由に施設は閉鎖へと追い込まれました。

ダグラスはベイビーたちを連れて新たに廃校になった建物を住処に
選びます。

しかし仕事を探すために面接へ行っても
ダグラスを受け入れてくれる場所はありませんでした。

そんな時、ショーパブのドラァグクイーンのステージを目の当たりにし、
オーディションを受けたいと望みます。

夢の舞台に車椅子をあげられない、と躊躇していたオーナーに、
ドラァグクイーンたちは、一晩の夢を見させてあげて欲しいと哀願してくれました。

そうして歌唱の間だけ立って歌うダグラスのステージを見た
クィーンたちやオーナーはそのパフォーマンスに感銘を受け、
金曜日だけ、舞台にあがれる契約を取り付けることができました。

そしてダグラスは週に一度マレーネに変身したのです。

ダークヒーロー爆誕?!

ショーの仕事の他に、ベイビーたちに富豪の家からジュエリーを拝借させ、
これを貧しい人たちに富の再分配していたり、
知り合いの店主からみかじめ料をむしり取るギャングたちに立ち向かうヒーローとしても
活躍していました。

そんなダグラスに報復を企てたギャングたちが襲いにやってきます。

ベイビーたちの活躍もあって、ギャングたちを一網打尽にした
ダグラスでしたが、その逃走の道中で、警察の検問にかかり、
逮捕されてしまいました。

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『ドッグマン』のラストシーンの意味とは?

エヴリンを相手に全ての告白を終えたダグラスは
紫色のスーツに着替えます。

そしてベイビーたちが、ダグラスを解放しにやってきました。

外に出たダグラスは教会に向かって歩いていきます。

そして十字架の前に立って叫ぶのです。

あなたのためにこの足で立ってる。
準備はできてる。いつでもいい。

そう言うと、ダグラスは十字架の影の上に倒れました。
そしてその周りを離れ離れになっていた彼の大勢のベイビーたちが
彼を見送るために駆け付け取り囲んだのでした。

一方、DVの元夫と離婚し、接近禁止令を出したにも関わらず、
しつこくつきまとわれ、赤ちゃん自身の危険を感じるエヴリンでしたが、
それでも屈することなく逃げない決意を固めます。

そんなエブリンの家の前には窓から外を覗く彼女を見上げる
ダグラスのベイビー、ハウンドがいました。

まるでダグラスが彼女を愛し守る伴侶犬を送り届けた
かのように・・・。

ダグラスの最後そして安息の地へ

ラストでダグラスは自らの人生を終わらせる時を
自分の意志で決めた
のだと言えるでしょう。

ダグラスの壮絶な人生の不幸は
〖人間には愛されなかったこと〗でした。

そして自由を手に入れた時、その代償の大きさから
〖神にも愛されなかった〗ことを痛感したのです。

家族から愛されないことも、身体が不自由になったことも
全ては神の思し召しで、自分は操り人形にすぎないのだから
あらがうことなどできない。

そんな思いで耐え忍んできたのでしょう。

それでも、彼の元へ純粋な愛情を注いでくれる犬たち
やってきました。

それは不幸な者のもとに、神が遣わせた恩恵なのか?

真意はわからずとも彼らの愛情は人間よりもむしろ深く、純粋な思いの大きさに、
支えられ、ダグラスは前を向く勇気を貰えたのではないでしょうか。

彼の人生自体は壮絶なものでした。
素晴らしい人生だったと満足気に語ることは許されなかったけれど
それでも恨むことも後悔もしていないと胸を張れる。

確固たる〖愛情〗は沢山もらったのだから。

ギャングたちの報復にあい、この人生のゴールを突きつけられた
気がしたダグラス。

そしてエヴリンとの出会いで、自由の意思もまた
神が創った
ものだと知ります。

だから最後だけは、
初めて自分の意志で決めたかったのではないでしょうか。

立ち上がり、神の元へ行くのは今なのだと。

かつて『自由』を手にいれるために、歩くことを奪われたダグラス。
そんなダグラスの足で立ち上がることは大きな代償でした。

その代償をもって、
〖あなたのためにこの足で立つこと〗
を捧げたのです。

きっとその先には永遠の安息があると願って。

エヴリンの元に現れた守護犬

冒頭で

神は不幸のあるところへ犬を遣わす

という詩の引用がありました。

それがラストシーンのエヴリンの元へ現れたハウンドへと
繋がっていきました。

ダグラスの最後は十字架の影に重なり倒れる姿でした。
まるでその姿はダグラス自体が慕っていた存在を思わせるように。

そんな彼は自分が救われたように、
同じ〖痛み〗を抱えるエヴリンの行く末を案じて、
ダグラスの右腕として彼を守り抜いたハウンド
を守護犬として向かわせたのではないでしょうか。

虚構の世界が広がるもう一つの解釈

ダグラスがエヴリンに語った彼の生涯は、
全て真実であったとは限らないように思いました。

エヴリンに女装は別人になるため過去を偽り
自分を忘れたい
からだと語っていました。

それに対し、エヴリンは見たくないものを隠したいのでは?
という見解を示しています。

ダグラスが見たくなかったものとは何でしょうか?

愛はみつけたか?〗
とエヴリンに聞かれたダグラスは一度、首を横に振ります。

しかしその後で、それを撤回し、一度だけあるのだと言って、
その相手はサルマで虚構の王国の王女だと表現しました。

サルマ自体が実在しない可能性はないでしょうか。

優しかった母親の姿、母が隠していた雑誌、そんなところから
理想を創り上げたのかもしれません。

あるいは、同じ施設の女の子との出会いはあったけれど、
車に乗って行ってしまったのはサルマではなく、
里親に引き取られた彼女
であり、
大人になったら会おうと約束をしていた。

そして会いに行った彼女はダグラスを忘れ、成功を手にして、
パートナーや子どもにまで恵まれていた。

自分のように幼少期のトラウマなど微塵も抱えて
居ない姿
がそこにあったのです。

同じ施設で育ったのに、同じ傷みを持っていると思っていたのに、
何故神は彼女と自分とにこんなにまで差をつけるのか・・・。

ダグラスが見たくなかったものは、
そんな理不尽さにあふれた現実

その現実から脱却するために想像したのは、
人生での成功を掴み幸せの絶頂にいるのは、
元々自分とは立場が違えた大人の才能ある女性だったということ。

そんな風にサルマが実在する人物ではなく、ダグラスが過酷な現実を忘れ
別人になるために創った虚構の世界のキャラクター
にすぎない可能性
を秘めているのではないでしょうか。

一方でダグラスからジュエリーを盗まれた富豪が送り込んだ保険調査員が
ショーパブに現れた時に持参した一本の薔薇

この薔薇を『本物なのか?』問う台詞が意味深でした。

その後、調査員はダグラスとベイビーたちの住処に侵入し、
返り討ちにあってしまいますが、その際にも映りこむ一本の赤い薔薇

この調査員の一連の出来事とショーパブでダグラスが歌っていたことは
本物である
という描写だと推察しています。

さらにエヴリン自体が現場を訪れ見てきたように、
ギャングがらみの出来事も真実なのでしょう。

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『ドッグマン』まとめと感想

絶対君主的な父親と意地悪な兄弟の居る家庭で育ってしまった
ダグラス。

何だか、身に覚えがありすぎて胸が痛みました(笑)

ただ、愛され守られたいだけ

そんなシンプルな願いさえ叶えられなかった現実で、
何度も死んでいると話すダグラスは、それでも生き返るために、
別の自分を生み出したのでしょう。

現実のように拒否することなく歓迎してくれる相手や場所を
生み出すことで辛い過去や見たくないものから目を背けてきました。

しかし彼は1人で孤独だったのかというとそうではなく、
人間の代りに大勢の犬たちが、
全身で愛情を注ぎ、懸命に守り抜いた
のです。

それでも愛されるべき人から愛されなかった傷み
一生癒えない傷となったのかもしれません。

できればひっそりとベイビーたちと幸せに暮らせたなら
まだ良かったのでしょう。

それでも襲ってくる現実はどんどんダグラスを追い込んでいきました。

それならば、とダグラスは富や権力や、不条理さにさえも
抗って行こうとします。

そして最後にやって来たのは黙示録の天使たち。

彼らをよこしたのは、冒頭でダグラスが助けに応じた男性でした。
人間が相手である場合、例え危険を冒して守ってあげても
守ってもらえるとは限らないということなのでしょうか。

別人を装って、人間を信じることをやめて、
ベイビーたちとの幸せをただ願っているだけなのに、
人間の方から複雑さを持ってやってくる。

自分の居場所を守るために闘うことは罪なのか?

その答えは罪であると同じ傷みを持つエブリンは言います。
どう対処するかは自分で決めることが出来たし、
それが大切だった
のだと。

そんな彼女はダグラスの希望だったのかもしれません。

本当の自由は自分の中にあったのだと知るにはダグラスにとっては
もう時は遅すぎたのかもしれません。

だとしても、悔いはないし、堂々とそれを断言できるエヴリンを
守りたいというダグラスの思いが、ハウンドを彼女の元へ
走らせた
のです。

そしてダグラスは、せめて神の元へ行きたいと願い、
その時を自分で決めたのでしょう。

彼が最後にまとったのは、深い悲しみの象徴であるとともに、
死に行く者が代償を捧げて自らの罪を贖うことを表す紫色。

彼の苦悩の旅は終わりを告げたのかもしれませんが、
悲しい終幕に茫然としてしまいました。

誰よりも彼のために集まったベイビーたちに
号泣してしまいます。

人生における答えなんて早々解決できるものでなないのが現状です。

しかしその中で腐らずに、自分の人生を自分で良くする努力をする自由はある
ことを忘れてはいけないのだと痛感させられます。

筆者も愛犬家なのですが、本作はワンちゃんの犠牲が
ないのも良いですし、あまりにも真っすぐなベイビーたちに、
愛犬家の犬愛が一層深まってしまう一作です。

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