【ネタバレ考察】映画『エゴイスト』のタイトルに込められた意味とは

邦画
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エッセイスト高山真氏の自伝的小説を
鈴木亮平主演で映画化した
『エゴイスト』

とてもインパクトのあるタイトルですよね!

親子愛』や『恋人との愛』、
それらの愛をエゴと呼ぶのか?

そんなテーマが誰しもの心に突き刺さる本作。

では『エゴイスト』とは誰のことなのか?
そしてどんな意味が込められているのか?

気になるタイトルの意味について深堀り考察しています。

この記事のポイント
タイトル『エゴイスト』に込められた意味
最後に待ち受ける衝撃の展開

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『エゴイスト』あらすじ

斉藤浩輔は14歳の時に母を亡くし、故郷の町では
同性愛者であることを隠しながら生きてきた。

思春期は差別的な視線にさらされることも多く、故郷には
良い思い出のない浩輔だったが母の命日には帰っていた。

現在は東京でファッション誌の編集を担う浩輔は
自身が鎧と称するハイブランドに身を包んで颯爽と歩き、
本音を交わせる友人たちとの充実した日々を送っている。

かつて自分を愚弄してきた者たちを『ブタ』だと
思うことにした浩輔だったが、故郷で出くわした『ブタ1号』
は浩輔に気づくことはなかった。

実家へ顔を出し、母に手を合わせた浩輔だったが
父との会話もろくに交わすことはなく多忙を理由に
すぐさま東京の自宅へと戻ったのだった。

そんな折、浩輔はパーソナルトレーナーである
龍太を紹介され、2人は意気投合しすぐに恋に落ちる。

龍太はシングルマザーとして自身を育ててくれた母親の妙子
の面倒をみるために高校を中退し、生活費を稼いでいた。

そんな龍太を『偉い』と励ます浩輔。

龍太だけではなく龍太の母にも手土産を持たせたり、
母に紹介されるなど
龍太との恋愛は順調かに見えた矢先、
突然、龍太から別れを切り出されたのだった・・・。

キャスト
鈴木亮平、宮沢氷魚、阿川佐和子、和田庵、
ドリアン・ロロブリジーダ、柄本明
 他

『エゴイスト』は何処で見られる?

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以下、結末までのネタバレを含みます。
未視聴の方はご注意ください。

本記事の情報は2024年8月時点のものです。
最新の配信情報は各サイトにてご確認くださいませ。

タイトル『エゴイスト』に込められた意味

浩輔と龍太の恋愛が色濃く描かれた本作。

しかしその至福の時は無情にも儚いものでしたが、
同時に美しいものでもありました。

ではタイトルの『エゴイスト』には
どんな意味が込められていたのでしょうか。

エゴイストとは何か?

〖エゴイスト〗には利己主義者という意味があり、
他人の感情よりも自分の利益や欲求が最優先だと考える人のことです。

本作で『エゴイスト』を象徴しているのは
主人公の浩輔です。

しかしそれはあくまで浩輔が下す自身への評価であると言えます

浩輔のエゴとは何だったのか

母親との生活費を稼ぎ自立するために
男娼をしていた龍太は、浩輔との交際をしながら他の男性の相手
をすることに後ろめたさを感じ、
浩輔との交際を諦めようとしました。

そんな時、浩輔は龍太を男娼の仕事から手を引かせる
べく、毎月10万円を工面するから、足りない分は他の仕事で
稼いでやれるところまで二人で頑張ろうと説得しました。

浩輔が渡す10万円は充分すぎる額。
それでも成人2人の生活費にはなり得ませんでした。

龍太は割は良いが心が痛む男娼の仕事から、
体力を消耗するが心は痛まない仕事を昼夜
掛け持ちすることになりました。

その結果、元々身体が弱い龍太の過労は限度を超え、
ある日、就寝したまま目を覚ますことはありませんでした。

浩輔は龍太との恋愛を持続させるため、
男娼の仕事から退いてもらうための提案。
それは龍太を応援したかったから。

しかし、『応援したかった』、『別れたくなかった』
それは自分の『エゴ』
だったのではないのか。

その『エゴ』は龍太に
無理をさせる結果になり不幸を招いてしまったのだ。

そんな自責の念に駆られるのでした。

失意の中で

龍太を失った後、浩輔は龍太の母、妙子に会いに行きます。

龍太にもお金を渡していたから、
龍太が居ない今、苦しくなる生活を支えたい。

自分のわがままをどうかきいて欲しい。

そう言って妙子にも毎月お金を工面することに
なった浩輔。

それは救えなかった龍太の代りを務めること。
そして自身も何もしてあげられなかった浩輔の母の
代り
に支えになることでした。

そしてその行動は徐々にエスカレートしていきます。

金銭だけではなく、食料品や日用品を買い込んで運んだり、
白髪染めや腰痛を緩和するマッサージ、部屋の掃除などまでを
担い、やがて妙子の部屋に泊まっていくまでになりました。

そうなると、何かあったら心配になるという理由から
浩輔のマンションに妙子を招き同居をする提案をしますが、
妙子は首を縦には降らずその願いまでは叶いませんでした。

血縁者なら受け入れられたかもしれないその提案が
本当の母と母の代りの境界線を示しているようでした。

タイトルに込められた思い

浩輔は14歳の頃に母親を亡くしています。

そして母親は浩輔の性的マイノリティについて
知る由もなく、告白する機会もありませんでした。

本当の自分で接することが出来なかった母親に対して、
浩輔はどんな思いを抱いたでしょうか。

浩輔が将来『家族』を築くことを楽しみにしていた
母親
に、自分の性に対する後ろめたさを感じていました。

本当のことを隠したままだったのは正しいことだったのか。

母親に息子として何もしてあげられなかったという後悔の念
は募るばかり。


様々な思いがあったのでしょう。

親愛する母親に対して何も返せず何もしてあげられなかった
という実感は、

自分は本当の愛のカタチを知らない。

そう思い込ませたのです。

そんな浩輔にとって、
自分が相手を思うが故にする行動は
相手を追いつめるだけのエゴに過ぎない。

何故ならそれによって自分だけが大きな救いを
手に入れられている
のだから。

結局、龍太のことを考えていると言い訳をしながら
自分自身が救われていた。

そしてその救いが心地良かったがために
やめることはできず、龍太を失ってしまった。

自分の身勝手な思いは愛なんかではなく
エゴなのではないのかと。

最後に待ち受ける衝撃の展開

故郷の町で母を失くし、本当の自分を差別される辛い経験を経て、
浩輔は東京でファッション誌の編集者になり、
ハイブランドの服を鎧とし、颯爽と歩く姿は成功者そのものでした。

それでも浩輔の中には、
母への思いとその母が描いていた息子が異性のパートナー
との家庭を描く夢。

そのことは浩輔にとって後ろめたさと深い自責の念に駆られ続けて
いた要因になったのではないでしょうか。

無論、本当の浩輔を明かさなかった結果であり、
浩輔の母親は本当の息子を快く受け止めたのかも
しれません。

しかし、仕事と身にまとう服、そして本音を言える仲間に
囲まれ、充実した日々を送る中でもそれらの思いが消え去ることは
なかった浩輔は日々、虚勢を張っていたとも言えるでしょう。

そんな中で出会った龍太と妙子は
浩輔にとって大切な人だっただけではなく、
彼自身を救う存在でした。

龍太を失い、妙子に救いを求めたとも言える浩輔
でしたが、妙子もまた病魔に襲われてしまうのです。

それは愛だった

妙子の入院を知った浩輔は、頻繁に病室に出入りするようになります。

同室の女性に『息子さんなの?』と聞かれるたびに、
違います』と口を揃えて否定していた浩輔と妙子。

しかし何度目かの面会時にいつものように
『息子さんですか』

と聞かれた浩輔が否定しようとすると、
妙子が横から
『自慢の息子なの。』と答えたのです。

浩輔の妙子への献身的な支えはエゴなどではなく
愛情だった
と公言された瞬間でした。

妙子は言います。
龍太は浩輔に救われたと話していたことを。

龍太のことも妙子のことも
一方的な気持ちで深くかかわり、自分が救われていた
という感情が強かった、愛情の意味を知らない浩輔に
それは愛情なのだと妙子は言ってくれました。

病室を後にしようとした浩輔に対して
『まだ帰らないで』
と言う妙子のわがまま。

それは血の繋がりを超えた母子の
愛情と愛情が交差した証
なのだと言えるのではないでしょうか。

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『エゴイスト』感想

龍太との幸せな時を過ごした直後の
『夜へ急ぐ人』を歌唱する浩輔が印象的でした。

この楽曲を筆者は恥ずかしながら知らなかった
のですが、調べたところ
ちあきなおみさんの曲なのだとか。

歌詞をまじまじ見ていると
何やら不穏さが際立っています。

あんな幸せそうな裏で、龍太をリードする強さを
もちながら、でも実は不安も弱さも持ち合わせている

そしてこれは恋なのか、満たされたいだけの
身勝手なのか?
葛藤をしている。

そんな浩輔の隠された感情が表れていたのでは
ないでしょうか。

浩輔は強がってはいたものの
母との取り戻せない過去、思春期のイヤな思い出
を拭い去ることは出来ず、
虚勢を張って過ごすも、それは愛情への葛藤となって
表れてしまいます。

常日頃、誰しもが、愛情と思って、または
はき違えて自身の感情を優先し相手に、押し付けてしまう
ことは珍しくないのかもしれません。

近い相手にこそ傷つけられたり、傷つけたりする
ものなのではないでしょうか。

しかしながら、龍太が最後に
『ドライブに行きましょう』と嬉しそうに言った顔、
妙子が『自慢の息子』だと公言した表情を
見る限り、

浩輔のした行動、言動、注いだものは
愛情以外のなにものでもないのだと
断言できるのではないでしょうか。

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