【ゲットアウト】や【アス】の脚本を手掛けたことで知られる
ジョーダン・ピール監督の2022年に公開された衝撃作
【NOPE】
【NOPE】というタイトルの意味は何でしょうか。
台詞では
『無理だ』と訳され
それは
『NO』を強調する意味だったり
『うっそだろ~』『ありえな~い』という意味合いだったりするそうです。
ではどんなあり得ないことが起きるのかニャン⁈(うざっww)
というのが気になるところです。
そこでこの記事では、筆者や多くの視聴者が思ったであろう
『NOPE!!』
と叫びたくなるような〖何か〗の正体と
『ウォーキング・デット』での人気者グレンを演じて一躍有名となった
スティーブン・ユアンが本作で演じるリッキー・ジュープ・パク。
この物語のもう一人の主役と言っても過言ではない
リッキー・ジュープ・パクがストーリーにおいて担った役割に着目しています。
【NOPE】のあらすじ
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ハリウッドで唯一の黒人経営であるヘイウッド牧場では馬を調教師し、
映画やドラマなどに馬のレンタルを行っておりその歴史は深い。
ヘイウッド牧場は父オーティスと息子のOJ、OJの妹のエレラルドの3人できりもりしていた。
ある日、空からの落下物が直撃した父親が命を落としてしまうという悲劇が起こる。
牧場の経営は兄妹に引き継がれたが
経営は厳しく、馬を売却したり、牧場経営ごと売ることも
考慮していた。
OJの父親の命を奪った空からの落下物、
その致命傷になったのは1枚のコインだった。
そのことを最悪の奇跡だと言うOJ。
そしてOJはあの時見ていたのだ。
空に浮かぶ巨大な何かを・・・。
その何かは父親の悲劇に関係しているとふんでいた。
OJとエメラルドは、その巨大な何かを撮影できたら
バズるに違いないと考え、
一攫千金を目指して
監視カメラを設置したり、
エメラルドがその人にしか撮れないと確信するカメラマンの説得にあたる。
空に浮かぶ巨大な何かの正体とは如何なるものなのか?
以下、作品のネタバレが含まれます。
未視聴の方はご注意くださいませ。
本記事の情報は2023年7月時点のものです。
最新の配信状況は各サイトにてご確認くださいませ。
【NOPE】での重大なカギを握るのはジュープとゴーディの事件
【NOPE】の劇中で何度も回想される
チンパンジーが起こす惨劇。
それがこの物語において重大なシーンとなっていることが
示唆されています。
チンパンジーが人間を襲うという事件は実際に多数ある悲しい真実だそうです。
そしてその一例として、
チンパンジーが自分たちを苦しめた地元の人種(黒人)のみを
執拗に襲ったという事件がある。
その事件では襲われた黒人と一緒に行動していた白人の被害が雲泥の差であったことから
そのチンパンジーには黒人と白人を見分けることが出来て、
特に憎んでいた黒人の方を故意に狙ったのだと解釈された。
劇中、ジュープが幼少の頃出演していた
【ゴーディ家に帰る】というホームドラマの中では
そこに客寄せとして出演させられていたゴーディというチンパンジーが
風船が割れた音に反応して一瞬のうちに脅威と化してしまう。
襲われる出演者たちをテーブルの下でじっと隠れて見守るしかなかった
幼少のジュープ。
彼はその惨劇の中、
ゴーディではなく、奇跡的に立っていた靴を
見つめていた。
ゴーディの目を見なかったこと。それが功を期したのか?
それとも、自分を見世物にする出演者やスタッフたちの人種と
その中でただ一人アジア系の人種であったジュープを自身と同じ異種の者であり
見世物にされている側の存在であると見分けたのか?
それはゴーディにしかわからない。
けれども
『ゴーディ家に帰る』の劇中では、
挨拶がわりにジュープとゴーディはグータッチを交わしていた。
それはジュープにとっては演技なのだが、
もしかしたらゴーディにとっては支えであり本当に友情の証だったのかもしれない。
そして事件を起こしたゴーディは
ジュープのことも解放してやったぜ
と誇らしく思ったのかもしれない。
そして惨劇の後、いつものようにジュープに近づき
グータッチをしようとしたゴーディは射殺された。
ジュープは支配する側に立つ人間の危うさの象徴
そのような惨劇の渦中にいながら、
かつては子役として人気を博したジュープは
あの事件で自分だけが助かったこと。
その理由を勘違いしてしまう。
ジュープが助かった理由は一つではないかもしれないが
あのありえなく立っていた靴に注目していたジュープは
動物と目を合わせる
という敵意を示すNG行為を無意識に回避していた。
しかし本人は肝心のそのことに気付かなかった。
気付かないばかりか
あたかもゴーディがジュープにだけは
飼いならせていたかのような過信をしてしまう。
そうして
見世物として支配される側の痛みを
その場で体験していながら
昔のように脚光を浴びたい。
という欲望も相まって
トラウマ級の出来事の裏に隠された真実よりも過去の名声、
そしてあのようなトラウマ級の出来事を引き起こした
エンタメ界と支配する側に、どっぷり染まっていった。
その結果
あの事件と同じ過ちを
今度はジュープこそが支配する側として犯してしまう。
そして空に浮かぶ巨大な生物をかつてのゴーディのように
飼いならせると過信したジュープは
それと目を合わせてしまった。
支配する側に立った
ジュープに2度目の奇跡は起きなかった。
スティーヴン・ユァンこそ【NOPE】には不可欠な存在
Steven Yeun stars in Jordan Peele’s ‘NOPE’
— Film Updates (@FilmUpdates) June 7, 2022
In theaters July 22, 2022. pic.twitter.com/0uMmUVIRDm
元々ジュープ役には他の演者が予定されていたという。
しかし最終的にジュープを演じたのは
ハリウッドで活躍するアジア系俳優スティーヴン・ユァン。
【ウォーキング・デット】での初期メンバーであり
1、2番を争う人気のキャラであったグレン・リーを演じた。
しかし、きっと【NOPE】でジュープが言われていたように
〖『ウォーキング・デッド』のアジア系俳優だ〗
とスティーヴン・ユァン自身も沢山言われてきたことだろう。
そしてアジア系の俳優がハリウッドで活躍することは
簡単なことではない。
その立場をジュープが出演していた『ゴーディ家に帰る』で例えるならば
アジア系もまたアメリカ人の出演者たちと同等ではなく
ゴーディの側に近い。
本作では、支配される側に近かったジュープが
その気持ちや悲惨な結果を体験していながら
支配者の側へと化してしまった。
そのリアルさと悲哀さを表現できたのは
まさに今〖アジア系俳優という自分のネームプレート〗とたたかっている真っ最中の
スティーヴン・ユァンだったのかもしれない。
〖何か〗の正体は支配された者の象徴
OJが父親の事件の際に見た巨大な何か
であり
ジュープや〖ジュピターズ・クレーム〗を訪れた観客たちを
飲み込んだ何か。
それこそが、
OJとエメラルドがGジャンと名付けた
最悪の奇跡の正体であり
変幻自在な地球外生命体であった。
まさに『NOPE』な存在のGジャンは
史上初の映画出演者でありながら制作側によってこきを使われる
馬のようであり
ホームコメディで見世物とされ、ストレスも限界に追い込まれた
コーディのような
人間たちが、コントロール出来ると過信し、
支配してきた自然界の生き物たちの象徴なのだと思う。
OJは牧場を経営する傍ら馬の調教師でもある。
そんなOJは決して馬を自分より下の存在として
見下したるすることはなく敬意を払って接していた。
だが馬やゴーディを見世物としていた制作側の人間は違う。
人間様の演者が疲れたら休まなければいけないが、
馬やチンパンジーの事情などはお構いなしなのだ。
そしてあんな巨大な生物が相手でも
手名付けようと過信してしまう者、
撮りたくて近寄ってしまう者が存在する。
自然界の生き物たちに敬意を払わなかった結果
悲劇は起こった。
【NOPE】に秘められたテーマと感想
本作の構成は5つの章に分けられ、各章のタイトルが全て
劇中にでてくる馬の名前だったり、チンパンジーだったり、
地球外生命体の名称だったのが印象深いものでした。
そのような構成にした『NOPE』を通じて監督が伝えたかったこととは
何だったのか?
一つの答えに過ぎませんが映画から受け取ったメッセージについて
綴っています。
力による支配の末路
冒頭、旧約聖書のナホム書からの引用が映し出される。
わたしはあなたに汚物をかけ あなたを辱め あなたを見せ物にする
力をもって相手を思いのままに出来るという人間の傲慢さやおごり。
しかし力による支配など上手くいくはずもなく
力でねじ伏せようとすれば逆に相手により滅ぼされる結果になる。
というような真理をついた引用を映し出した意図とは何なのか?
力をもって傲慢を見せつけてしまったのは
『ゴーディ家に帰る』の政策側の人間たちであり
大人になったジュープ。
彼らは、相手に対し自身が上位に立っていて飼いならしたと
勘違いしていたゴーディや地球外生命体によって
悲劇に見舞われた。
まさに見世物だと思っていたものからの仕返しを受けてしまう。
旧約聖書の引用をもって
人間の傲慢さへの批判と、
力ずくで支配者になろうとする者への警告
そして
その間違いが導く結果の危険さ
を描いたのではないでしょうか。
動物たちとの共存と兄妹の絆
ジュープとは対照的に描かれたのが牧場を経営して馬の調教をしているOJ。
口下手で営業も下手で、自分が目立つことを嫌がる。
妹・エメラルドはOJと違い
口が達者で営業力もあり、自己主張も強い。
そして牧場経営にも協力的ではなかったエメラルド。
序盤では衝突も多い兄妹の姿が描かれる。
OJは
馬に対して傲慢になったことは一度もなく、
支配下においてもいない。
常に相手に敬意を払い、
同等の存在として共に暮らしている。
そんな折OJが売却したラッキーが
〖ジュピターズ・クレーム〗にて生贄に使われていることを
危惧したOJは会場に向かいます。
するとそこは既にジュープ達に大惨事が起こった現場と
化しており、
辿り着いたOJもまた危険な状態にさらされますが
そこに残されていたラッキーのことを
懸命に救いだそうとしていました。
そんなOJにだからこそ、Gジャンとの対峙に共に向かい、
その運命さえもOJに託すことができるラッキー。
支配とか力ではなくお互いを尊重している者同士だから
生まれる確かな絆を描いていました。
同じように、実は
子供の頃からエメラルドのことをちゃんと見ていたOJ。
妹のピンチには自分が犠牲になっても
助けにはいる。
エメラルドもそんな兄に甘えるばかりではありません。
そんな兄妹の絆のもとに成功したのが
Gジャンの撮影。
心の底でお互いを尊重しあっている
OJとエメラルドの兄妹の暖かい光景も
感慨深く描かれています。
スクリーンの向こう側
スクリーンやTVの画面に映し出される
可愛い動物たちの表情やしぐさ。
視聴者はそれを見て
癒されるだろうし、明るい気持ちになるかもしれない。
けれども
視聴者の見ているものと
その裏で行われていることが
イコールであるとは限らないのだと。
動物たちだけではなく
ジュープのようにアジア系の役者がハリウッドで活躍することの
大変さは、人気海外ドラマでのアジア系俳優の突然の降板劇
などで察しがつきます。
視聴者には見えないところで行われていること。
そんなエンタメ界への戒めにもとれました。
私自身も愛息犬×2と生活を共にしています。
彼らは私の気持ちを明るくしてくれ、
1日を迎えることが出来ることの貴重さを教えてくれ、
弱くなりそうな心を支えてくれています。
しかし当たり前ですが
彼らは私とは身体の構造や考え、適した環境も異なっています。
動物が出演しているエンタメやYouTubeでさえ
時には目にした描写に疑問を呈したくなることもある筆者ですが
自分はどうなのか?
独りよがりに彼らのためと思っていることが
間違ってはいないか?
改めて、
共存の意味を考えさせられる一作です。