映画【流浪の月】ケチャップを拭う意味|2人の本当の関係をネタバレ考察

邦画
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広瀬すず×松坂桃李で映画化された凪良ゆう原作の【流浪の月】

女児誘拐犯とその被害者が15年後に再会して
翻弄される様子を描く衝撃作。

ケチャップを拭うシーンが意味深だった

文と更紗の関係は?

というような『気になるあのシーンの意味』について解説、考察しています。

この記事では

・最後のシーンについて
・文の病気と母親との関係
・2人の本当の関係とは


に着目して推察しています。

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【流浪の月】あらすじ

雨が降る公園でずぶ濡れになりながら座り込んでいた9歳の家内更紗
傘を差し出し『帰らないの?』と聞いてきたのは
19歳の大学生、佐伯文でした。

『帰りたくない』と伝える更紗に『家にくる?』と言った
文に、更紗はうなずき家について行きます。

更紗の父は他界しており、母親は更紗を置いて家を出たため、
叔母の家に居候していました。

叔母の家では禁じられた夕食時のアイスも『好きにすればいい』と
言われ、自由に過ごせる空間に居心地の良さを感じる更紗でした。

『好きな時に帰宅していい』と告げていた文でしたが、
そのまま文の家に居ついた更紗。

ある日2人が公園の池で遊んでいると、
警察官に囲まれていました。

文は女児誘拐の罪に問われ、叔母たちが更紗を
迎えにきました。

別れ際、更紗の手をしっかり握った文は、
更紗の叫びもむなしく連行されて行きました・・・。

キャスト
広瀬すず、松坂桃李、横浜流星、多部未華子、趣里、
増田光桜、三浦貴大、内田也哉子、柄本明 

『流浪の月』を視聴するには

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映画とは異なる設定や心情が詳しく描かれた小説【流浪の月】

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以下、作品の結末までのネタバレを含みます
未視聴の方はご注意ください。

本記事の情報は2024年5月時点のものです。
最新の情報は各サイトにてご確認くださいませ。

最後のシーンが意味するもの

文の逮捕劇で終わった2人の関係でしたが15年後偶然の再会を果たします。
しかし、文の隣の部屋に引っ越してきた更紗が友人の娘の面倒を文に
頼んだことがきっかけで、前科のある文は再び任意同行されてしまいます。

今回の容疑は晴れたものの、自分が近づいたために、
文の平穏な日々を壊してしまった罪悪感から謝罪とお礼を込め、
別れを伝えに文に会いに行った更紗。

文はそんな更紗の前で服を脱ぎ、誰にも
〖知られたくなかった秘密〗
を告白しました。

最後のシーンで文が服を脱ぐ理由とは何だったのでしょうか。

物語の結末

15年前、叔母の家で暮らす更紗は実は夜になるとその家に暮らす
従兄から虐待を受けていたのです。

そんなことは叔母に言えるはずもなく、
帰りたくない更紗の心情をくみ取った文は自宅に向かい入れたのです。

更紗や世間は文が小児性愛者であると疑いませんでした。

しかし真実は違ったのです。

服を脱いだ文の身体はやせ細り、
下半身は成長が止まった子どものままでした。

子どもを好んだのではなく、成人女性と恋愛をするのは
困難だったのです。

知られたくない秘密、子どものままの下半身の真実
恋人にさえ伝えることはできず、苦悩のどん底に居る文を
受け止めたのは更紗でした。

元女児誘拐犯とその被害者という世間からは
受け入れてもらえない2人の絆。

それでも文と更紗は2人で生きていくことを決心します。

また見つかったら?そのときはまた流れていけばいい。
〖流浪の月〗のように・・・

文の病気と母親との関係

文は第二次性徴がなされないという病気のようでした。
第二次性徴は男子は12歳前後で訪れるとされ、
男女の区別が心身共に確定的になります。

その時期には本来であれば男性ホルモンも発達することから、
見た目の変化の他にも
心の変化が顕著に訪れ、異性への関心が芽生えるのも
この時とされています。

そんな性徴期が訪れなかった文は、
そもそも恋愛感情というもの自体芽生えてはいないのかも
しれません。

男子が最初に出会う異性は母親であり、
最初の愛情を受け取るのも母親からである
ということを踏まえると、
母親の役目は文を肯定することだったのではないでしょうか。

文の母親は厳格すぎるあまり、
成長のとまった我が子に出来損ないのレッテルを貼り、
行き場のない苦悩の矛先を息子へと向けました。

それは肯定どころか拒絶であり、
文の成人女性への恐怖感や疑念を植え付けたと言っても
過言ではないかもしれません。

やせ細った庭の木を怪訝な顔で処分する母親。
その木に自分を重ね、存在意義を見いだせなかった文

その発端である身体の秘密を知られることは
人から拒絶されること
であり、
そうなるくらいならば、小児性愛者として生きることの
方が容易だというのが真意なのでしょう。

2人の本当の関係

19歳と9歳という歳の差で出会い、
誘拐犯と被害者という関係が公になってしまった2人。

しかしそんな2人の間には当事者しかわからない
何かがありました。

更紗にとって文との空間が自分らしく自由に生きられる場所だったし、
厳しく育てられ母親の愛情を実感できなかったであろう文にとって
親の愛情を受け生き生きと育った更紗を羨望のまなざしで
見ていたに違いありません。

15年間、別々の暮らしても断ち切れなかった2人の関係。
それは恋愛なのか?
それとも別の何かなのか?

2人の本当の関係に迫ります。

更紗に声をかけた理由

雨の中傘もささずにずぶ濡れになりながらも
帰ろうとしない更紗。

そんな彼女に自分と同じ境遇を見たのではないでしょうか。

誰にも理解されず、
家族という輪の中に入れないということが
子ども心にはどんなに辛いことなのか、
文には痛いほど理解できています。

文は小児性愛者ではありませんでした。
しかし少年院を出てきた後も自宅の離れに隔離され
監視を受けていました。

弁解する余地もなく、本当のことを
家族に聞かれもしなかったのかもしれません。

『家に帰りたくない』

当時の文も同じことを思っていたのでしょう。

誰からも理解されず差し延べてくれる手もない
直ぐ近くに家族がいるのに・・・。

文はあの時の自分を救うように、衝動的に
更紗に手を差し延べたのではないでしょうか。

ケチャップをぬぐう意味とは

文の家で料理に大量のケチャップをかけて
食べる更紗は口の周りをケチャップだらけにしてしまいます。

文が指摘してもなかなか拭き取れない更紗の口元に
手をあてぬぐった文に更紗は
『お父さんみたい』
と言いました。

文はこの時、成人女性と恋愛できない自分は
小児性愛者なのかもしれない
…と少し疑って
そういう気持ちで更紗の口元に触れてみました。

しかし、やっぱりそれは恋ではなかった。

そしてそんなよこしまな気持ちで触れた指を
更紗は、父親みたいだと言いました。

それは身体が成長しないことに苦しめられる文にとって、
自分が大人であることを認められた瞬間でした。

同時に、父親と娘・・・つまり2人がお互いにとって本来あるべきの
家族のような存在となった瞬間だったのではないでしょうか。

恋人以上のたった一人の存在

女児誘拐犯として逮捕された文でしたが、
更紗のことはずっと気にかけていました。

何処で何をしているのか。
会いたい・・・と。

その感情は恋人を思うそれではなく、
潜在的ではあるがもっと深刻なものだったのではないでしょうか。

女児誘拐犯とその被害女児という関係は
当事者以外の見解でした。

当事者の2人が思う本当の関係は全く違うものなのです。

家族にさえ拒絶されて行き場をなくした文と、
大好きだった両親はいなくなり、
居候している家では虐待を受ける更紗。

叔父、叔母の更紗への対応は描かれてはいませんが、
食事さえ自由にできないことに加え、
悪事をはたらく血の繋がった息子の追求などされるはずもなく、
更紗にとってそこは拷問つきの監獄のような場所。

あの時2人は出会って、
お互いを救いあったのです。

15年の時を経て、
身体の成長がとまったせいで、成人女性との恋愛を諦めた文と、
幼い頃の虐待の記憶から恋人同士がすることを嫌悪してしまう更紗。

2人は互いに、そのままの自分を
認めてくれる相手であり、

お互いがお互いにとって、
この世でたった一人の、自分を肯定してくれる理解者
なのです。

梨花の母は娘を置いて消えたのか?

更紗の同僚で友人でもある安西佳菜子
佳菜子はシングルマザーでバイトを掛け持ちしていました。

そんな佳菜子が恋人との旅行へ出かける際に
娘の梨花を更紗に預けて行きました。

帰国予定だった3~4日過ぎても帰宅せず、
一向に連絡もなく、まだ子どもの梨花は心労からか発熱してしまい、
仕事に向かう更紗に変わって看病を買って出た文が
梨花が少女であったために任意同行されてしまいました。

その後、梨花はどうなったのか?
佳菜子は何故いなくなったのか?

梨花は警察に保護されるかたちで連れて行かれたので
他の親族が居れば連絡が入ったものと思われます。

佳菜子は梨花を育てるために仕事も掛け持ちを
していました。
恋人と旅行に出かけ自分の幸せをかみしめた佳菜子は
『もう少しだけ』
と願う気持ちが現実逃避させたのかもしれません。

しかしながら文が梨花の件で逮捕されなかった
という描写から、その後、佳菜子と連絡がとれて、
母親自身が友人たちに娘を預けたという証言をしたもの
だと思われます。

亮の依存と別れ方

母親が自分を捨てた
ということをトラウマとして抱えており、
そのせいで、恋人に対して重要視するのはその境遇でした。

身寄りがなかったり、可哀そうだと思う人だったり。
要は自分しか頼る人が居ないというような境遇の女性を求めたのです。

そういう相手を選べば、自分は捨てられることがない
と思ったからです。

幼少期に小児性愛者の誘拐事件に巻き込まれた更紗は
亮にとって絶好の境遇だと思っていました。

しかし真実は違っていました。
むしろ更紗の方が、自分のせいで前科を負うことになってしまった
文に対し、罪悪感を抱き、ずっとぬぐえずにいました。

可哀そうな子という自覚もなく、そう思われるのも違う
と本人が感じていたのです。

最後まで、可哀そうな女の子というレッテルを貼りたかった
亮は更紗に別れを告げられます。

亮は出ていく更紗に自傷行為を見せつけます。

亮がそんなことをするのは
〖捨てられないため〗

帰宅しようとエレベーターの前に居た更紗は、
傷を負って倒れる亮の方へ、駆け寄って行きます。

救急車を呼び、手を差し延べようとする更紗を振り払い
『もういい』
と言って更紗を解放し、1人で病院へ運ばれました。

これで亮と更紗の結末は、
亮が捨てた側なのだという解釈を彼自身がすることができた
と言えます。

2人のその後はどうなる?

実は原作には2人のその後が描かれているようです。

筆者は映画のみの鑑賞なのですが、インタビュー記事で映画でも
実はカットされた2人のその後があったのだと知りました。

カットした理由は『2人の見たい姿を見せる』のではなく視聴者自身が
『自分の映像』を見て欲しかったのだそう。

みなさんは映画のラストシーンのその後、
2人はどうなったと思いますか?

筆者は、ひとまず今いるところからは遠い場所へ移住して、
それでもしばらくは雑誌記者に追われたりするのだろうけれど、
話題は尽きず、時代も変わるものです。

時間が解決してくれるのではないかな?と。

苦労した2人の幸せな未来の姿が見れたらいいなと
思ってしまいます。

ちなみにソフト版にはカットされた幻のシーンが
収録されている
のだとか。

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まとめと感想

正しさとは何なのか?
考えさせられる物語でした。

19歳の文が9歳の更紗を家に招くのは
法律がある以上、どんな理由であっても許されない。

一方で文と過ごした時間は9歳の更紗の希望になったことは
言うまでもありません。

いつか文に謝罪しなければ・・・という更紗の思いは生きる糧になった
可能性さえあるかもしれません。

誤解されたり、思い込みで判断されたり、その人の正しさをもって責められる、
真実ではないことが一人歩きして苦しい・・・
そういう人は多数存在するのではないでしょうか。

筆者も同様に、人が見たいことを見たがる風潮のせいで、
悔しい思いや苦しい思いをしてきたことは何度もあります。

だったらせめて、自分は自分の眼でみたもので
判断するようにしよう。
という小さなことから始めていこうかなと思いました。

梨花はそれを素でやってのける。
そんな梨花に育てた佳菜子だから、きっと母親としては
優秀なんだろうなと思わざるを得ません(笑)

これからもそういう事態が自分にも度々訪れ、
払拭されることはないのでしょう。

流すことができるなら、社会なんて人生なんてそんなもんだと
強く生きていくのも良いでしょう。

それでも文と更紗のように、ゆるぎない理解者を見つけられたら
それは最高の奇跡だと思える一作です!

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