低予算で制作されたインディーズものでありながら〖斬新なホラー〗
という触れ込みで本国アメリカではスマッシュヒットを
達成し、あのタランティーノ監督でさえ唸らせたという噂の
ホラー映画
【イット・フォローズ】
しかし恐怖の起源やラストの解釈など
謎を残したまま幕を閉じました。
そこで本記事では見た人を恐怖に陥れる
〖それ〗の正体に迫ります。
この記事のポイント
・『それ』の正体を徹底解明
・回収されなかった謎を考察する
『イット・フォローズ』あらすじ
【コラム:映画の処方箋】見終わった後の方が怖くなる、異色のホラー映画 『イット・フォローズ』 8月25日21:00他放送/夏の終わりの夕暮れ、一軒の家から下着姿の娘が飛び出してくる。怯える娘の様子に驚いた隣人や父親に「何でもない」と…https://t.co/YFtaPiXz5D pic.twitter.com/dMjfFU6fai
— ムービープラス【公式】 (@movie_plus) August 25, 2017
大学生のジェィは交際しているヒューと何度かデートを重ねた後、
車内で関係をもった。
大人になった気がしてうかれているジェイだったが
背後からヒューにクロロホルムをかがされ気を失ってしまう。
そしてジェイが気がつくと車椅子に縛り付けられていた。
ヒューは先程関係を持ったことにより、
ジェイに『それ』を移したのだと言う。
自分をめがけて襲い掛かってくるという『それ』は
人間ではない何かであるという。
そして
時には他人に、時には近しい人に成りすまし近づいてくるのだ。
動きは呪いがかしこくて、どこまでも追ってくる。
しかし追われる者にしかその姿を見ることはできない。
『それ』に捕まってしまえば命を落とすことになる。
だから『それ』に捕まる前に
誰かに移せと。
一通りの『それ』の説明を終えたヒューは
ジェイを自宅に送り届けて以来、姿をくらましてしまう。
そして、ジェイにも『それ』が訪れたのだった・・・。
キャスト
マイカ・モンロー、キーア・ギルクリスト、ダニエル・ゾヴァット、
ジェイク・ウィアリー、オリヴィア・ルッカルディー、リリー・セーペ 他
以下、結末までのネタバレを含みます。
未視聴の方はご注意ください。
本記事の情報は2024年8月時点のものです。
最新の配信情報は各サイトにてご確認くださいませ。
『それ』についてわかっていること
見える者の後をどこまでもついてくる
『それ』と呼ばれる存在。
その正体は何なのか?
まずは『それ』について判明していることを整理します。
『それ』のルールとは
・性行為で移る
・移されたものにしか姿は見えない。
・物理的な攻撃はできるものの復活する。
・『それ』のターゲットになった者が捕まれば、その前の人物にターゲットが戻る
・その姿を他人にも親しい人にも自在に変える事が出来る。
・常に歩いて追いかけてくるので動きは遅いが知的である。
・捕まれば終わり
ということなのですが、これは全てジェイに『それ』を
移したヒューの証言によるものです。
『イット・フォローズ』の『それ』の正体を徹底解明
性行為で移ると言われた『それ』ですが、
実際、ジェイに移したヒューは、ジェイにターゲットが
移って以降も、『それ』の姿が見えると証言しています。
つまりは、『それ』は、性行為によって移るというよりは
性行為をする立場になった者が
『それ』=『恐怖』を認識してしまうのだと言えるでしょう。
監督が漏らす『それ』の正体とは
本作の脚本と監督を担当した
デヴィッド・ロバート・ミッシェル氏は
『それ』の正体についてのヒントを明かしています。
その内容は『それ』が性行為による性病云々の類のメタファー
なのではないということ。
そして本作のテーマは
〖生と死と愛〗
であるということです。
〖生と死と愛〗その中で恐怖の対象である
『それ』の正体はといえば〖死〗であるということなのでしょう。
性行為が発端となるのは
それがこの世に生を受けることの象徴となるから。
さらに、多くの人の場合、
初体験というのは親には内緒の初めての自身の責任を
伴う行為かもしれません。
ある意味それは親(大人)から独立して、
大人になった証であるともいえるのではないでしょうか。
大人に守られていた〖子ども時代〗には考えなかったこと。
それは自分の命には限りがあるという概念が芽生えること
なのではないかと思うのです。
そして守られていると同時に不自由と言うこともできる
子ども時代からの卒業は、
自由という輝かしい希望を手にすることであり、
それによって自分の足で生きていることを実感するのかも
しれません。
そうするとそんな幸せの裏側にピッタリ位置する恐怖は
そんな生が〖終わること〗に他なりません。
『それ』の正体は自身の中にある
とはいえ、監督自身は『答えは一つでなくてもいい』
ともしており、鑑賞者の数だけその答えがあることに
肯定的です。
人によって怖いものは異なるでしょう。
歳を重ねるごとに死が怖いと感じる
ことは必至ですが、
『孤独』に陥ることも恐怖かもしれません。
それは大切な人たちとの別れ
を意味する恐ろしいものだからです。
けれども、不眠症の人や悪夢ばかりを見る人が怖いものは
〖夜〗かもしれません。
そんな風に人によって怖いものは『孤独』だったり『責任』
だったり・・・と
『それ』の答えは自身の中にある恐怖なのではないでしょうか。
回収されなかった謎を考察する
本作には続編の制作が進行中でそのタイトルは
【ゼイ・フォロー】なのだといいます。
『それ』の数が増えるのか?と推察すると
ヤバそうな続編も楽しみです。
しかしその前に本作において回収されなかった謎
を推察したいと思います。
グレッグの死に隠された真実
ビーチでジェイが襲われ、ポールたちが『それ』と対峙した
瞬間に別の場所にいたグレッグだけが
『それ』の存在に半信半疑のままでした。
そしてジェイから『それ』を受け取るも、
3日間現れなかったのは何故なのでしょうか。
ひとつには『それ』は歩いてくるから
グレッグに辿り着くまでに時間がかかったのかもしれません。
しかし筆者は、実は、グレッグは他の誰かに
既に『それ』を移していたのではないかと推察しています。
グレッグには特定の彼女のような存在が見受けられました。
しかしながら、ケリーやヤラにも色目を使っていました。
そのようにグレッグは日々、ワンナイトを楽しんでいたのでは
と勘ぐっています。
そして脅威を信じていないグレッグはその相手に『それ』の説明をしなかった。
その結果3日間という短い空白が生じたのではないでしょうか。
そんな性行為を軽んじてしまうグレッグに『それ』は
実の母親の姿をして現れました。
そして彼の命はまるで魂を抜かれたかのように
一瞬にして奪われ、その光景はまるで
一方的な性行為のような格好でした。
グレッグの最後によって判明したのは
『それ』がターゲットの命を奪う方法もまた
性行為が関係しているということでした。
プールに現れた『それ』はジェイの父親
ジェイたちは『それ』を感電させることを画策して
ポールとジェイの思い出の場所
でもあるプールに『それ』をおびき出す計画を立てます。
しかしそこに現れたのはジェイの父親の姿をした『それ』
でした。
〖誰の姿なのか?〗と尋ねるケリーに
ジェイが〖言いたくない〗と返したのは
父親は既に他界していたからではないのでしょうか。
赤いボールの少年
物語の冒頭でジェイがプール遊びをしているのを
覗いていた2人の少年。
そのうち1人の少年は、プール遊びを覗く
いたずらの行いのみで撤退したと言えます。
しかしもう1人の少年はその後、
ジェイの部屋の窓に赤いボールをぶつけて、
部屋の外に張り付いていたり、
『それ』退治に出かけるジェイを見送るなど
何度が登場するのです。
その割に台詞も接触も少ないので
この少年の意味するところが不明なまま終わりました。
覗きから始まって部屋への侵入を試みる?
というように、少しずつジェイへの執着が深まっている
(ジェイのストーカー予備軍)という描写なのか?
この少年もまた、ジェイにつきまとう者にかわりはなく、
もしかしたらゆっくりと歩いてくる『それ』よりも、
モノを投げつけたり、少年という外見から油断してしまう分だけ
本当はコチラの方が脅威になり得ると言う描写なのかもしれません。
ラストシーンの意味
ラストの場面は、『それ』を手放したジェイと『それ』の追撃を請け負った
ポールが手を繋ぎ歩いて行く姿で終わります。
2人の後ろをゆっくりとついてくる人影は通行人に過ぎないのか
それともやはり『それ』なのか?
その解釈によってこの結末がハッピーエンドなのか否か
わかれるところでしょう。
その前にジェイもポールもそれぞれ、
『それ』を移すターゲットを物色している場面が
ありました。
それでも2人は移さなかったのではないか
と推察しています。
そして人に移したら逃れられる
という事実もないのではないでしょうか。
筆者は後ろから歩いてくる影はやはり
『それ』だと思うのです。
ヒューはジェイに移しても『それ』の存在は見え続け、
助けてくれる仲間も居ない中、
1人で怯え続ける毎日のようでした。
しかしながらジェイとポールは同じ恐怖を共有し、
共に前進し続ける覚悟と選択をしたのではないでしょうか。
全ての人の人生には限りがある。
それは残酷な現実です。
だとしたら、生きている今という時間を大切に
前へ進むしかない。
彼らが子どもの頃、
親から8マイル通りを越えるのを禁じられていたと言っていました。
8マイル通りはデトロイトにおいて郊外と都市の境界線。
それは貧富の境界線でもありました。
ジェイの親たちが行くのを禁止していた8マイル通りの
向こう側・・・それは過酷な環境下に置かれているのでしょう。
そして同じように、もし叶うならいつまでも子どもで居て欲しいと
願う親たちが、子どもが渡るのを好ましく思っていないのは
異性との交遊、性行為なのです。
その橋を渡ってしまった彼らには
もう親の手助けは通用しない。
自分で自分を守り、生き抜くしかないのです。
しかしそれは『1人で』とは限りません。
ジェイは同じ性行為の中でも
〖自分への愛情〗のあるものを手にしました。
だからこそこれかれは2人で立ち向かって
前に進んでいけばいいのです。
『イット・フォローズ』感想
『それ』の正体が誰にでも当てはまるものだと
分かるとその怖さは後から、日々増進してくる
という、変わったホラー映画でした。
とある病気に発症すると『悪夢』を見がちになるんです。
実は筆者もその病気を発症しており、
発見が遅かったために5人の医師に
〖一生付き合っていくしかない〗
と言われました。
だから、夜が憂鬱でした。
そして悪夢を見たストレスで朝はもっと落ち込みました。
そんな日々も孤独に立ち向かうしかないと
思っていた矢先、
その病気に詳しい人が目に涙をためて言ってくれたのです。
『かわいそうに。辛いよね。
でも・・・お医者さんだって人間だから、〖絶対〗はないよ。』
もしかしたら、5人のお医者さんが言った
〖一生付き合わなければいけない〗
という言葉に縛られ、ヒューが『それ』に翻弄されて
いつまでもその姿に怯え、疑心暗鬼になったように、
自らを追い込んでいたのかもしれない
と思ったら心が軽くなった気がしました。
(決してお医者さんディスリではありません)
そんな風に
誰かと分かち合える、理解される、1人じゃない
ということは生きているからこそ味わえる思いであり、
人にとって、勇気を貰うのに
大切なことなのかもしれませんね。
そしてまた、そういった経験を味わえる
生きる価値を知った者にこそ怖いのは
終わることであり、人ではなくなることなのでしょう。
しかしながらジェイもまた
例えまだ〖それ〗がつきまとって来ようとも
もう1人じゃないから
この物語の結末はひとまず〖ハッピーエンド〗
といえるのではないでしょうか。