映画【人間失格】太宰治と3人の女たち|ネタバレ考察|ラストの意味は?

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〖教科書〗に載っている常連の文豪である太宰治は才能にあふれる反面
その人生は衝撃的なものでした。

彼の完成した最後の作品であり代表作『人間失格』。

この作品は太宰治の写し鏡であり彼の苦悩や心理が主人公・大庭葉蔵を通して
描写されていますが、
小栗旬主演で映画化された【人間失格】は太宰治本人について
その人生記が綴られています。

そしてその人生は決してありふれたものではなく
映画を見た方に、数々の疑問や難解な描写を投げかけて来る作品ではないでしょうか?

そこでこの記事では
映画の要となっている太宰治に翻弄された3人の女性を通して
以下の項目を中心に推察していきたいと思います。

・太宰治を『人間失格』に導いた『3人の女たち』の愛とは
・太宰治にとって人生を終わらせる意味とは
・ラストシーンの解釈


【人間失格】のここがわからない・・・と言う方の
お悩みのヒントになったら幸いです。

この記事では映画の内容のネタバレが含まれます。
未視聴の方はご視聴後再訪してくださいませm(__)m

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太宰治を『人間失格』に導いた〖3人の女たち〗の愛とは

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劇中でも出版されていた太宰治の作品のモデルとなっている〖3人の女たち〗

では彼女らは何故太宰治に惹かれていったのでしょうか?

『ヴィヨンの妻』のモデル・美知子

小説は実話じゃない

そう太宰が語った
寛容すぎる妻を描いた『ヴィヨンの妻』のモデルになったのは
実際の太宰の妻である美知子でした。

劇中での美知子を見る限り、充分すぎるくらいの寛容さでありましたが、
小説は事実ではないと言い放った太宰の真意はどこにあったのでしょう。

太宰の不貞を目撃しようとも支え続ける妻が

影では
もうだめかも
と言葉のわからぬ子供に弱音を吐いて泣いているのを知らない太宰は

書きたいもののために家庭など壊せばいい
自分の元に帰ってくることに意味はない

と叱咤激励する妻の真意に気付かず
妻の自分への愛情に確信が持てなかったのかもしれません。

一方で美知子の方は
津島修治
という一人の人間を心底思っていたのです。

修治の生きる糧である
太宰治という作家。

そして人の文章をモチーフにすることが多かった太宰の
太宰が書く最高傑作を完成させること

それは修治を思っている美知子の生きがいでもありました。

奇しくも太宰のことを純粋に一番思っていた女性は
3人の子供を身重でありながら一人で育て、支払いに追われ、夫に裏切られてもなお
前だけを見て、懸命に生きている。

その姿は眩しい反面、太宰にとっては劣等感や苦悩を増す
手を伸ばしにくい存在でもあったのでしょう。

しかし

美知子へあてた最後の手紙に太宰は

(津島修治は美知子を)


誰よりも愛していました

と残します。

だったら、なぜもっと帰ってきてくれなかったのか

そんな思いが駆け巡りそうですが、

美知子は

最後に太宰の最高傑作が世に出たこと
太宰は自分を一番思ってくれていたこと


自分のしてきたことは間違いじゃなかった

そう確信して心は晴れたのかもしれません。

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『斜陽』のモデル・太田静子

元々は『斜陽』静子(沢尻エリカ)の日記を元に書いたものでした。

静子の文才に惹かれた太宰が2人のために書こう
と口説き

静子は

本当の恋の証に赤ちゃんが欲しい


ということを
斜陽日記を託す条件にしました。

願いが叶って2人の間に子供が誕生すると
太宰に認知と養育費を願い受け入れられます。

そして小説
『斜陽』に自身の名前も加えて欲しいと願うが
それだけは太宰の生前にかなうことはありませんでした。

『愛のない人とは生きられない』

と言いつつ

早い時期から自分の未来を見据えていた静子。

静子の言う
『愛のない人』とは『自分(静子)への愛のない人』

静子は
酒におぼれることも間違いを犯すこともある弱い人間の
津島修治に惹かれたのではなく
才能ある芸術家・太宰治と、
太宰の書く小説に恋をしていたのです。

太宰との恋は芸術のための恋。

そして

静子の『斜陽日記』出版で
その恋は成就しました。

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『人間失格』のモデル・山崎富栄

『ヴィヨンの妻』に賛同し、
尽くして尽くして愛する人
を目指した富栄。

密会を妻・美知子に目撃され心を痛める反面
その行動は徐々にエスカレートし

太宰の体調が悪くても太宰との赤ちゃんに執着したり

太宰が妻帯者であることを承知しながら
自分と太宰のことを夫婦と語ったり

なかなか妊娠の望みが叶わないとなると自暴自棄気味になり
妻の留守中に太宰の自宅に上がり込んだりする。



束縛と自己愛が強く命に対する向き合い方が破滅的なところなど
表現の仕方は違えど
太宰が自分との共通点を富栄の中にみたのでしょう。

そして
赤ちゃんももてず正式な妻でもなく
命を懸けられるものが自分(太宰)だけである富栄に
同情したのかも?しれないと思いました。

皮肉にも自分が居なければ壊れてしまう女に
自分の存在意義を満たされたのでしょう。

太宰治にとって人生を終わらせる意味とは

冒頭、いきなり心中シーンで始まりますが
太宰がその手を放し相手の女性が流されていく中で
最後の最後に呼んだのは

『ケンジさん』

という太宰ではない名前でした。


劇中ではサラっと描かれていたこのシーン。

実際は
この仕打ちが太宰にとっては大きな傷になったとされています。

そのくらい命を共にするこの決断は太宰にとって
一種の愛情表現の重さを測る秤だったのでしょう。

命がけで

という言葉を度々口にする太宰、

生きるために恋をする太宰は

複雑な自身の考えや性格から
家族を含む自分以外の人間の気持ちがわからず、
付き合い方もわからないことに悩み

それでも人から愛されたいと切実に願っていました。



命を粗末にしているようで
命に対する執着は人一倍あったのだと思います。

だからこそ太宰のために命をかけてくれる人の存在でしか
心が満たされることはありませんでした。

ラストの解釈

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劇中では、『人間失格』を書き終えた太宰が冨栄に導かれ
心中の手はずを整えます。

しかしその際、太宰は

〖自分は残り少ない人生だがずっと一緒にいるから生きよう〗

という趣旨の提案を富栄にします。

ところがその提案は富栄には響かず、
今ここで一緒に死にたいのだと涙ながらに訴えられ
仕方がないと諦めの表情を浮かべ川の底へと向かうのです。

太宰治の最後

実際の太宰治の最後にも諸説ありますが
現場に太宰が入水を拒んだ跡が残っていたという話もあります。

最後の最後〖生きること〗に執着したのでしょうか?
だとしたらそれは何への未練だったのか?

その件については憶測の範疇を超えることはできませんが
不可解な謎として語り継がれています。

ラストシーンの意味

ラストで川に沈んでいく太宰が1人だけ目を覚ます

というシーンで映画の幕は閉じられます。

このシーンを見ると、太宰の最後はどうなったのか?

迷うところですが


おそらく最後は富栄と心中して命を落とした

というそのままの解釈なのかなと思います。


その一番の理由は
目を覚ました太宰の服装が入水する直前とは異なっていたこと。

なので直前の場面とは切り離して考えるべきだと思いました。

そしてこれは何を描写したものかと考えた結果

劇中でも
イエス様みたい
と言われたり
自分をだと表現したりしていましたね。

そういったところから推察してこのシーンは

『復活』

を意識した描写だと自分なりには考えました。

まとめと感想

学生の頃、初めてこの〖人間失格〗を手に取った時には
どちらかというと
なんか嫌いな作品でしたww

今思えばそれは
自分の中にも

人との関わり方が分からないとか
なるべく人に嫌われたくはないとか
人から見える自分を意識しすぎたりとか

そういう側面が確かに存在したからなのだと思います。

自分を描かれているようで・・・
とは言いませんが、自分の嫌いな部分を思い起こさせるような描写に
苦手意識を持ったのでしょう。

『人間失格』を読んで意味不明・・・って思う方は幸せなのかもしれませんww

津島修治は弱い人だったと言われることも少なくありません。

ですが私は思ってしまうのです。

きっと人生が生きにくかった津島修治は、
どうにか生きていくために

恥の多い人生=太宰治という役柄を一生をかけて演じていたのだと。

それにしても太宰治を翻弄した3人の女性は強い人ばかりでした。


その中でも妻・美知子のように献身的な女性になりたいと
思いつつ、

世間の眼なんてどうでもい
自分の物差しで生きていきたい

そう語った静子のように強く自分の人生を楽しむことを
最優先して生きられたら最高だなぁと思って止みませんwww

※本記事の情報は2023年5月時点のものです。
最新の配信状況は各サイトにてご確認くださいませ。

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