Netflix映画『視線』のあらすじ・ネタバレ感想・考察/不安と恐怖と疑心暗鬼は驚愕の結末へ

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Netflix映画『視線』

主人公のジュリアは見知らぬ土地に移住し、自身が
向かいのアパートに住む見知らぬ男性からの視線の的になっていると感じます。

しかし不快な視線に怯えるジュリアの気持ちに寄り添ってはくれない夫や警察。
それはただの妄想なのか?
それとも・・・⁈

というサスペンス映画な本作。

鑑賞してみた感想や気になる場面の考察を綴っています。

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Netflix映画『視線』あらすじ

アメリカで女優をしていたジュリアは夫のフランシスの仕事の都合で
ルーマニアのブカレストに引っ越した。

フランシスはルーマニア語が理解できるが
ジュリアはさっぱりわからず理解も出来なかった。

そんなこともあり、ルーマニア語が飛び交い、会話の輪の中に入れない
ジュリアは孤独を感じるようになる。

新居の夫妻の部屋にある大きい窓の外を眺めるジュリアは
ある時、向かいのアパートの上階からジュリアたちの部屋を見ている
視線に気づいた。

いつも見られていると感じたジュリアは不快感を覚え、
フランシスに相談するがまともに聞いてもらえなかった。

そんな中、近所で女性が惨殺されるという事件が起き、
ジュリアは一層不安に駆られるのであった・・・。

キャスト
マイカ・モンロー、カール・グルスマン、バーン・ゴーマン 他

以下、結末までのネタバレを含みます。
未視聴の方はご注意ください。

本記事の情報は2024年11月時点のものです。

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不安と恐怖と疑心暗鬼は驚愕の結末へ

向かいのアパートの人がずっとこちらを見ている
そう確信した瞬間からその視線の意味が気になって仕方がないジュリア。

そんな中映画館からスーパーへ立ち寄ったジュリアの後をつけてくる
見知らぬ男性の存在に怯え、警察にも通報しました。

しかしフランシスも警察もまともに取り合ってくれることは
ありません
でした。

周りが言うように、その視線も、後を着けてきた男性の存在も
ジュリアの被害妄想だったのでしょうか?

フランシスはジュリアを大切にはしてくれるけれど、
現地の友人と一緒の時は、ルーマニア語で盛り上がって、
ジュリアを置いてけぼりにしてしまいます。

そんな中ジュリアは隣人の女性イリナ英語を話せることから、
彼女と意気投合し、気晴らしのひと時を過ごしていました。

2人が部屋で盛り上がっているとイリナの元彼クリスチャンが訪ねて来て
部屋の外から声を荒げ叫んでいます。

そんなクリスチャンを追い返したイリナは、
今度同じことをしたら消してやる・・・
と言って護身用の銃を見せてくれました。

イリナと楽しい時を過ごすも、部屋に戻るとまた待ち受ける
のは、自身に向けられる気味が悪い視線。

ジュリアはスーパーまでつけてきた男性と向かいの視線の住人が
同一人物だ
と考え、ある時、偶然その男性を見かけ、今度は尾行する側
まわります。

すると、その男性が入って行った建物はイリナがダンサーを務める
職場だった
のです。

そこの清掃員だというその男性とイリナはあまり接点がないようでした。

その後、イリナの部屋の前に居たクリスチャンを見かけたジュリアは
イリナと連絡が取れないのだと相談されます。

ジュリアがイリナに連絡を取ってみると電話はイリナの部屋から
鳴っているようでした。

不可解な状況に嫌な予感がよぎるジュリアは、

イリナの職場で働き、ジュリアを付けていたあの男性
向かいのアパートの人物が本当に同一かを確かめるため、
クリスチャンに協力を求め、向かいのアパートの部屋を訪ねる。

クリスチャンは部屋の住人に対し、二度と付け狙うなと脅してしまうが、
出てきたのは老人だったのです。

しかしそのアパートを後にしようとした時、帰ってきた
あの男性と遭遇したジュリアは同一人物説に確信を得たのでした。

その後、すぐにあの男性がジュリアの行為をストーカーと脅迫だとし
警察官を連れて部屋を訪れるのです。

今ならば勘違いがあったとして和解で済ませるという
その男性はダニエル・ウェバーと名乗るのでした。

納得はいかないものの警察の手前、仕方なく握手を交わし
その場を乗り切ったジュリアでした。

ほどなくして、近所で女性が惨殺され、その後も続いていた連続殺人の
容疑者、通称スパイダーが逮捕されますが、その犯人はダニエルではありませんでした。

その最中フランシスの職場のパーティーに同席したジュリアでしたが
向かいのアパートの住人との間に被害妄想を抱える妻をジョークにした
フランシスに憤りを覚えたジュリアはその場から立ち去り電車に乗りました。

するとその電車にはダニエルが乗っていたのです。
トラブルで停車した電車と、向かいに座るダニエル。

彼の持っているビニール袋の中身が不穏な物に見える
ジュリアは動揺します。

ダニエルは自分は一日中、病気の父親の世話をしているため、
気晴らしに窓から見える他人の生活を見ていただけなのだと主張します。

そして和解を勧めた警察官とは裏腹に謝罪が欲しかったのだと。

ジュリアは『ごめんなさい』と謝り、電車を急いで降りました。

帰宅したジュリアはイリナの部屋から音が聞こえたため、訪ねてみます。
すると応答はないものの施錠されていなかったので部屋に入るジュリア。

そこには首のない女性の亡骸が座っていました。
これはスパイダーの事件だ。

そう思った瞬間、ジュリアは背後から襲われてしまいます。
犯人の正体はやはりジュリアの被害妄想などではなく、
ダニエルだった
のでした。

自宅にフランシスが帰宅した気配がして、
ジュリアは自分が隣の部屋に居ることを知らせようとしますが
声を出そうとした時、ダニエルによって首を斬られてしまいました

流れ出す血に意識がもうろうとしてきたジュリアは
這うようにダニエルから逃れようとしますが、
力尽きて倒れてしまいました。

倒れたジュリアの傍らに横たわり手を握るダニエル。

一方で、フランシスはジュリアが不在なことを不審に思い、
連絡を取ろうとするものの、携帯の着信音が隣の部屋から聞こえてきます。

フランシスは自室を出て隣の部屋に向かうと、
中からダニエルが出てきたのを目撃します。

ダニエルと目が合ったフランシスでしたが
次の瞬間、ダニエルは部屋の中から銃撃され倒れてしいました。

すると中から出て来たのは、ダニエルを銃撃した
血だらけの妻、ジュリアでした。

フランシスに向けられたジュリアの視線は
冷たく強く突き刺さるのでした。

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Netflix映画『視線』の感想と考察

『目は口ほどに物を言う』
と言いますが、見られている側にとって
その表情を見れば、その視線が友好的なのか、
はたまた敵意に溢れているのか
おおそよ感じとることができるのではないかと思います。

しかしジュリアの場合は相手が良く見えない中で、
何故だか常に見られているという不可解な状況で
不安と恐怖に駆られていました。

理由がわからない視線の、しかもそれが連続殺人事件の犯人
だったとしたら・・・という超絶恐怖が伝わってきます。

本当の孤独

ジュリアはアメリカで女優をしていましたが
夫の転勤に迷わずついて行きます。

それは夫を支えることに徹する愛情深い妻であるとも言えますし、
見方を変えれば自分自身の人生よりも夫に依存することを
選んだのだと解釈することもできるのではないでしょうか。

ともすれば言葉も通じず、友達も居ない異国の地に赴き、
孤独や不安のどん底に落ちていくのは
想定内の結果だったと言えるのかもしれません。

一方でたった一人の頼みの綱だったフランシスですが、
彼にその意識は低いようで、同僚と一緒の時は
まるで現地の人のように振る舞いジュリアの気持ちに寄り添うことを
失念してしまいます。

さらに近所で起きる不穏な事件や、同時期に自分に向けられた不審な視線に
恐怖を感じ、不安を払拭するべく助けを求めてきたジュリアの心情にも
真剣に取り合ってはくれませんでした。

それどころかジュリアを付け狙う影に対してフランシスは
〖ジュリアが見ていたから見られたのではないか?〗
という見解を示したのでした。

確かに、その視線の始まりは一方通行でしたが、
正体を突き止めるためにその影を追い始めたジュリアもまた
視線をとばしていたと言えるのでしょう。

しかしそれは夫や周囲の人たちから理解を得られないだけではなく
自身への疑念をも誘発してしまう結果となり、
警察も、夫も自分さえも信じられないという
まさに本当の孤独感を味わっていたのではないのでしょうか。

ジュリアが解放される物語のその後

夫に依存した形で新たな生活を歩み始めたジュリアには
頼りにしていた夫が支えてくれなかった結果、
孤独の日々が待っていました。

しかし、自分には味方が不在であると感じ取ったからこそ、
自分で自分の道を切り開く力を得られたのかもしれません。

夫でありながら度重なるジュリアへの無神経な言動に我慢しないことを
決めたジュリアは恐らく1人で帰国しようと考えていました。

そんな矢先、ダニエルとの最終決戦が待っていたのですが、
絶体絶命の瞬間を迎え、自立に目覚めたジュリアは、
自分で自分を守り抜く強い気持ちを持てたのです。

ダニエルを倒した血だらけのジュリアはもう孤独から解放されて、
不安も自らの手で払拭しました。

物語の後、フランシスはジュリアの身を案じ、これまで真剣に取り合わなかったことを
謝罪するかもしれません。

それでも命を取り留めたジュリアはもうそこに留まることはないのでしょう。

意味がわからない視線は怖い

かつてTV番組で海外の旅行者が日本人の嫌なところは
〖人をじろじろ見ること〗
だと話す方がいたのを思い出しました。

世界的に、自分に向けられる意味がわからない視線というのは
不快に感じますよね。

アメリカなどへ行くと、エレベーターやお店の中など、あらゆる場所で
誰かと視線が合ってしまった場合、
大抵、挨拶をされたりほほ笑まれたりしたものです。

不快になり得る『視線』もそういう配慮があってこそ
素敵な習慣だと感じることが出来るのだと思いました。

ふと他人と目が合っちゃったら、会釈しちゃうくらいの
心の余裕が欲しいなと思う一作です。

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