映画『ミッシング』犯人は誰?娘はどうなる?意味深な結末の意味をネタバレ考察

邦画
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ある日突然、娘が行方不明になってしまう。
そんな失意の母親役を石原さとみさんが演じた映画
『ミッシング』

石原さとみさんは『空白』や、『神は見返りを求める』吉田恵輔監督
に自らアプローチをかけて挑んだという失意の母親役。

果たして犯人は誰だったのか?
娘はどうなったのか?

意味深な結末にはどんな意味が込められているのかなど、
ネタバレ考察しています。

この記事のポイント
『ミッシング』犯人は誰?娘はどうなる?
意味深な結末の意味

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『ミッシング』あらすじ

ある日、突然、起きた1人の少女の失踪事件。
母親の沙織里は娘の美羽を探すため、懸命に動くものの、
有力な情報は一切見つからず、時間だけが経過していた。

地元TV局の記者である砂田
そんな沙織里と夫のの取材を続けていた。

しかし絶望的な状況に発狂する沙織里に対し、それとは裏腹に
冷静な態度を見せる豊は沙織里の苛立ちをかい
夫婦の間では喧嘩が絶えず起こるようになっていた。

必死で娘を探す沙織里はSNSの情報もくまなく
探していたが、そこには、
美羽の失踪当時、弟の圭吾に娘を預けて自身は推しのグループの
ライブに行っていたと判明したことに対しての、
沙織里を責め立てる誹謗中傷のコメントが多数
書かれるようになっていった。

世間の目は沙織里を悲劇の母親から毒親へと
その視線を変えていった・・・。

キャスト
石原さとみ、中村倫也、青木崇高、森優作、
小野花梨、細川岳、柳憂怜、美保純
 他

以下、重大なネタバレを含みます。
未視聴の方はご注意ください。

本記事の情報は2024年9月時点のものです。
最新の配信状況は各サイトにてご確認くださいませ。

『ミッシング』犯人は誰?娘はどうなる?

娘の美羽を弟の圭吾に預けて、推しグループのライブへ行った沙織里。
普段は美羽に時間を費やし、子育てに奮闘していたからこその
ほんのひと時のご褒美だったのでしょう。

その間に失踪してしまった美羽。

そして美羽を預かった圭吾もまた、
いつもは自宅に送り届けるものの、
会社の同僚に誘われた闇カジノへ行くために、
美羽を徒歩で自宅へ返したのでした。

どうして美羽はいなくなったのか?
事故か事件か何も判明しない状況で、

沙織里と圭吾はお互い
ライブへ行かなかったら、誘いを断っていたら・・・
という同じ自責の念に駆られ続けます。

犯人は誰か?一体、何の目的で?という疑問は募るばかりです。

犯人の正体とは?

しかし結局、犯人は誰なのか?判明しませんでした。

そもそも事件なのか、なんらかの事故なのか
それさえも知る由もなかったのです。

犯人の正体はわからず、この事件において犯人自体が
存在するのかどかもわかりません。

しかしながら、夫妻はもちろんのこと、
世間から好奇の視線を浴び、犯人ではないか?と疑惑をもたれた
圭吾も犯人ではないことがわかっています。

劇中で犯人らしき人物は出ていないといえるのかもしれません。

娘はどうなった?

美羽を懸命に探し続けた夫妻でしたが、
結局2年半経過したラストでも、行方はおろか
有力な手掛かりさえも見つかることはありませんでした。


ふと、美羽が部屋の壁にした落書きを見つめ
『あんなに怒るんじゃなかったな』
と後悔する沙織里。

その落書きには、テーブルに置かれた美羽が作った?
カラフルなグラスを通して虹のような光が写しだされます。

あえて挙げるとしたら、この描写が
美羽がどうなったのかのヒントを示す場面だったのかも?
しれません。

美羽の落書きに重なる綺麗な光は
これから先に待っている希望を表すのでしょうか?

それとも、虹の光・・・
美羽が帰っては来ない残酷な未来を示唆したものなのではないでしょうか。

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『ミッシング』意味深な結末の意味

『ミッシング』のラストは、

事件から2年半後、美羽はみつからないまま
沙織里は小学生の安全を守るべく交通指導員を始めることに。

するとある朝、美羽に似ている小学生の女子が
沙織里の方を振り返り、ほほ笑
みかけます

そんな女子に沙織里は美羽が良くしていた仕草
して見せるのでした。

そしてこの物語の幕は閉じます。

意味深な結末にはどんな意味が込められているのでしょうか。

狂った世界にはびこる悪意

この物語の前半では、

突然、娘を見失った沙織里は訳が分からず
自分を見失い、場所も相手も選ばず沸いてくる
悲しみや怒りに支配されてしまいます。

あの日ライブに行かなければよかった・・・
そんな後悔は沙織里が一番感じているのです。

しかし世間はその傷をさらにこじ開けるように
まるで沙織里が毒親であるかのように罵ります。

味方だと思って頼っていたTV局でさえも
心配している探す手伝いをさせて欲しいという
雰囲気をだしながら、実際に流すのは
視聴率を優先した面白おかしく、圭吾が犯人である
という疑念を世間に誘導するかのよな報道でした。

勝手な想像、行き過ぎたいたずら、
被害者に対する最低の行いへとエスカレートした悪意は
沙織里や豊を傷つけ、絶望の先へ陥れる
のです。

狂った世界にも存在する一筋の光

しかし物語の後半では
沙織里が見た悪意に満ちた狂った世界にも
光は存在していました。

沙織里が働くみかん農園に入ってきた新人の女性は
その後妊娠しているのにも関わらず、当然だという表情で
捜索の手伝いに志願
してくれます。

金銭的に余裕のない豊と沙織里は印刷所の奥さんに
ビラの印刷にまつわる
後払いで早急にという依頼をして断られてしまいますが、
その後、ご主人は奥さんに内緒でビラを印刷し持参してくれたのでした。

さらに沙織里が同一犯だと推測し自発的に美羽と合わせて捜索行動を
行った宇野さくらちゃん
の行方不明事件がありました。

犯人は母親の元恋人で美羽とは無関係だったのです。

美羽の事件の手がかりを得ることはできませんでした。
しかしながら、沙織里はさくらちゃんが無事に保護されて
心から良かったと安堵し涙を流す
のです。

その後、沙織里が娘の捜索をしてくれたことを
知った母親はさくらちゃんを連れて沙織里と豊が
ビラを配っている場所を訪れます。

何か手伝いたい

宇野母娘はそう願い出たのでした。

その時、これまで懸命に抑えていた豊の
心の奥底にあった感情が初めて冷静を崩し、
それな大量の涙となってあふれ出しました。

それを見た沙織里の表情にも思わず涙交じりの笑みが
こぼれます。

そんな風に、沙織里と豊は絶望の淵に立たされても、
そこから落ちないように手を差し延べてくれる善意に
支えられながら、一筋の光を見つけたのでした。

ラストの少女は微かな希望の象徴

ラストで美羽を思わす少女が沙織里に微笑みかける場面。

それは意味深に描かれていますが、
筆者はあの少女は沙織里たちの希望の象徴であると感じました。

悪意に囲まれ絶望の淵に立たされていた
これまでの沙織里ならば、
例えば切羽詰まる形相で、その少女に駆け寄って
〖美羽なのかどうか〗
を確認せずにはいられなかったでしょう。

そもそも、他の児童を守る交通指導員という
ボランティアをしていたかどうかも疑問です。

自分の娘の捜索に人生のすべてをつぎ込み、
たった1秒でさえも安らぐことのできなかった沙織里と、
そんな沙織里をも守るために自身の感情をひた隠して
冷静さを演出していた豊。

しかし何も判明しない、解決できない
残酷な世界が変わることはなく、
そんな状況が続けば夫婦仲も危ぶまれ
どうやって生きて行けばよいのかさえ見えなくなって
しまう
のも時間の問題でした。

もし、美羽の失踪が事件ならば、
両親を地獄に突き落とした人物が存在する
一方で、
その地獄から救ってくれるのもまた人なのです。

沙織里と豊を救ってくれた行動や言葉が
ありました。

憎しみの対象になっていた圭吾は実は
できる限りのお金を工面してくれていただけではなく、
圭吾自身もまた幼いころのトラウマを抱えていたのです。

沙織里は何も知らず怒りをぶつけることしかしていませんでした。

豊に対しても然りです。

娘が失踪したにも関わらず、怒りをあらわにすることも
取り乱すこともない豊に苛立ちを覚える沙織里でした。

しかしそれは勘違いで、
2年半の時が経過して初めて見せた豊の号泣に、
実は豊が他の誰でもない沙織里のために、自身だけが強気を保ち、
冷静でいることに尽力していた
のだと痛感します。

沙織里は豊とも圭吾ともこの残酷な世界で
本当の家族になれたと言えるのかもしれません。

ラストの少女は、美羽がしていた仕草を
見せてあげる心の余裕が生まれた沙織里を通して、
それは絶望に囲まれながらも
沙織里が希望を見いだせた証を示唆しているのではないでしょうか。

曖昧な結末にした理由とメッセージ

本作では簡単に入手できるような、
TVやSNSといった情報を鵜呑みにし、惑わされ
正義という名のもとに攻撃に変貌していった言動が
容易に誰かの心を傷つけ、追い詰めていく危険性
に警鐘をならしているのでしょう。

そしてそこからもまた悪意が生まれてしまうという負の連鎖
を危惧しているものと思わされます。

新人記者の台詞でも、
真実を伝える報道に地味とか派手などない。

と提起するものがありますが、フィクションならば
視聴者の中には刑事の言うように刺激的な方が面白く、
明確な答えを求める心理も多く存在するのでしょう。

この物語の中では、美羽ちゃんが失踪したその日から
絶望の世界に落とされた両親がいて、
時が経過しようとも必死で我が子の行方を追っている。

それでも事故なのか事件なのか?犯人はいるのか、誰なのか?
真相はわからないということ。

そのように必ずしもすべての事件が解決するわけではない
という真実があるのです。

真実の先を無意識に求める風潮は確かに
存在するのかもしれません。

だからこそ、あえて同じ穴の狢にならないべく、
その後美羽はどうなったのか?という
結末を描かず曖昧にしたのではないでしょうか。

何よりも、こういった事件の裏では、
誰かによる些細な行いや言葉に傷つき、
真相がわからないままという、
気持ちの矛先が見つからない世界の住人になってしまう人が存在する。

それでもその生きる道に光を照らし
手を差し延べてくれるのもまた誰かの些細な行いや
言葉
なのだということでしょう。

おわりに

石原さとみさんが出産後の復帰作として挑んだ映画
『ミッシング』

石原さんが演じた沙織里の失踪した娘、
美羽は結局見つからず、犯人も判明しませんでした。

娘の失踪事件を機に、
人の悪意に心を壊され自分を見失った沙織里が、
周りの思いやりに触れ、
見える景色は少しずつ変化していきました。

攻めるばかりだった圭吾との和解、
同様の事件の被害者母娘との交流、
そして豊との深い絆を認識し、

自分の中から微かな光と希望を見出したのです。

そんな沙織里の苦悩に終わりはありません。

しかし、沙織里もまた、人の心を救う思いを持ち、
諦めることはなく、明日へ向かって行くのでしょう。

『ミッシング』感想

もしも全ての人類が心優しく他人に思いやりがあったら
もっと生きるのは簡単なのだろうと思います。

しかしながらそれほど単純ではないのが人間であり、
完全な悪人というのもまた存在しないと信じたいです。

沙織里が通り過ぎる傍で、
『ぶつかった、ぶつからない』で揉める人たち、
大きな声でクレームを主張する人たち。

まるで、小さなことで他人を攻撃するのはやめましょう

と言われているようでした。

そんな本作は、未解決のまま幕を閉じました。
本音を言えば宇野さくらちゃんのように、
無事に保護されるという結末を期待してしまいます。

それは叶わず、
沙織里と豊夫妻の身に起こったことの壮絶さや傷みは
計り知れないものです。

その苦悩には遠く及ばずとも
現実を生きる視聴者もまた多かれ少なかれ、
一生解決しない悩みを抱える
ことは珍しいことではないのかもしれません。

真相がわからないことに、元通りにならない関係に・・・と、
その悩みは色々です。

そんな時に、普段は現れない醜い部分が出てくることも
あるのでしょう。

そして他人の些細な言動を良くも悪くも敏感に感じ取るのでしょう。

傷ついたり、壊れそうになったり、もう駄目だと思っても
きっとどこかに小さな光は存在することを忘れず、それを
見つけ出すことが生きる道になるのだと教えられた気がしました。

見ているだけでも
辛く、沈んでしまう本作。

失意の母親を演じた石原さとみさんは
出産後の復帰作として、実際に母親の身でありながら、
まさに悪夢を見るかのような
本作を選んだその俳優魂がまずはあっぱれすぎますね!

そしてまさに石原さとみさんの新境地となった
のではないでしょうか。

でも次回作はコメディに出て欲しいところです。

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