ネタバレ考察【ドライブ・マイ・カー】ラストのみさきの謎と家福との関係に迫る

邦画
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カンヌ国際映画祭で脚本賞を含む3部門での受賞の他、
米アカデミーでは国際長編映画賞
を受賞した村上春樹氏原作の映画
【ドライブ・マイ・カー】

西島秀俊が絶望の淵にいる俳優兼舞台演出家を演じる本作。

新たな絶望と出会った先に見える景色はどんなものなのか?

結末はどうなるの?

ラストの意味が分かりずらい

といった声もあるようです。

そこで本記事では

★物語の結末
★家福とみさきの関係
★ラストシーンのみさきの謎

に着目して推察をしています。
気になるコトのヒントになりますように!

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【ドライブ・マイ・カー】あらすじ

俳優兼舞台演出家の家福悠介は脚本家で妻のと二人暮らし。
そんな2人の生活は親密で穏やかなものだった。

夫婦は互いを思い合っていたし、2人の時間も充実したものだった。
しかし、ある日家福が予定外のアクシデントにより急遽帰宅すると
そこには他の男性との不貞行為を犯す妻の姿があった。

家福は静かに自宅の扉を閉じると自分はホテルに宿泊し、
以降、何事もなかったように音と接する。

そんな折、音が
『今夜、話せる?』と家福に聞いてきたのだ。

その場は取り繕ったものの、その話の中身がどんな内容
であるのかを恐れるあまり、なかなか帰宅の途につくことが
できないでいた。

時間を潰した後、意を決して帰宅すると
そこには倒れた音が横たわっていた・・・。

キャスト
西島秀俊、岡田将生、三浦透子、霧島れいか、
パク・ユリム、ジン・デヨン、ソニア・ユアン
 他

【ドライブ・マイ・カー】を配信しているサービス

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本記事の情報は2024年3月時点のものです。
最新の配信状況は各サイトにてご確認くださいませ。

以下、作品のネタバレを含みます
未視聴の方はご視聴後のご来訪をお待ちしています。

物語の結末とは

共に絶望を抱えて出会った
家福・高槻・みさきの3人。

2人を通して家福が辿り着く結末とは・・・⁈

正しく悲しむということ

家福は順風にみえた夫婦生活の最中、
妻の不貞現場を目撃してしまい、その幻想は崩れ落ちてしまいます。

それでも、穏やかな夫婦生活を守るため
見なかったふりを貫くのです。

しかし音からの告白であろう話を目前にして
向き合うことを恐れた家福はなかなか帰宅できませんでした。

その間に音は倒れ家福と最後の会話を交わすこともなく
帰らぬ人となりました。

もっと早く帰宅していたら音は一命をとりとめたかもしれない。

そんな罪悪感と、向き合わなかったせいで聴けなかった妻の秘密

それはその後、家福を苦しめることとなります。

家福が何事もなかったふりをしたのは
実は今回だけではありませんでした。

数年前二人の娘を病気で亡くした時も
誰を責めることもなく、取り乱すこともなく
自分の悲しみや絶望といった感情に蓋をして
静かに乗りきったつもりでいたのです。

正しく悲しむということを怠った代償は
大きいものでした。

家福とみさきの関係

自身の愛車であり、音との思い出もつまった空間である
サーブ900ターボ

その運転代行をみさきが担うことを
しぶしぶ了承した家福でしたが、
みさきの丁寧で安全な運転は家福にとっていつしか
心地良いものになっていきます。

そんなみさきにも心の内に抱えた傷がありました。

みさきの罪

北海道の小さな町で母子家庭で育ったみさきは
母親からの度重なる暴力を受けていました。

母親にはもう一人の『サチ』という人格が共存しており、
罪を嘆くサチは母親にとって友人のような存在でした。
と同時に娘に暴力を振るう母の罪滅ぼしをする人格だったのです。

そんな二人の生活は大雨による土砂崩れの事故で
終わりを告げました。

その時、みさきは崩れた建物の下敷きになっている母を認識
しながらも、率先して助けなかったことに
罪悪感を抱いていました。

それを罰するかのように、母親から受けた
頬の傷跡を消さずに戒めのように残していました。

音の秘密

家福は音の不倫相手である高槻から
音が家福に語っていた物語の続きを聞きます。

それは物語の主人公が
自分では止められない罪を暴かれる寸前、
やっと解放される、もう罪を重ねなくていい
そう安堵した矢先、その期待は打ち砕かれ、
更なる重い罪を犯してしまう。

ところがその罪は暴かれず、
何事もなかったように平穏な日々が待っていた。
というもの。

物語の主人公がそうであったように
何事もなかったように背を向けられたことが
絶えられなかったのではないでしょうか。

裁かれた方がマシだったのかもしれません。

娘を亡くしたのは音のせいではないけれど、
母親としての過失を責められるのでもいい、
悲しみをぶつけ合うことで
その絶望と夫婦で向き合うのを
望んでいたのでしょう。

家福とみさきの葛藤と解放

自分ではどうしようもないほどの悲劇が起こったら、
取り乱したり、周りにあたってしまったり、
そんなこともあるのだと思います。

しかし家福にはその傾向はなかったと言えます。
同時に音の心の内を知る術もありませんでした。

それはその領域へ踏み込むことで自分自身の心と向き合うこと
を恐れたからです。

しかしみさきに対して家福は
母親の件でみさきの罪を認めました。
そして自分自身も妻への罪を認めたのです。

音とはできなかった傷みの共有・・・。

家福の愛車で2人で火をつけ、
頭上に掲げたタバコは解放の象徴であったと
言えるでしょう。

家福とみさきの関係性

家福とみさきの共通点は
共に大切な人の喪失。

そしてその喪失は自分次第で回避できたのかも
しれないという罪悪感と後悔の念を抱いている
ということです。

それ故に悲しむことも裏切られたことに対する自分の気持ちからも
逃げてきました。

自分の心の闇に気付かぬふりをして逃げていたせいで
それは呪縛のように2人につきまとっていたのです。

家福とみさきが出会い、ようやく
共に自分が避けていた部分、
自分の弱さと向き合うことができました。

そうして罪の共有、心の奥の本音、辛い気持ちを認めることで
解放された2人は
よき理解者として、父娘のような存在として
それぞれの道を歩んで行くのだと思います。

ラストシーンのみさきの謎

物語のラストは韓国の地で締めくくられました。
そこにはスーパーで流暢な韓国語で会話をし、買い物をして
車に乗り込むみさきの姿がありました。

その車は家福の愛車サーブ900でした。
そしてその車内にはコン夫妻の愛犬の姿が⁈
頬の傷は消えたその表情は笑顔でした。

このシーンは一体何を意味するのでしょうか。

自分の人生を生きる

韓国語で会話をしていることから、少なくともみさきの母親は韓国人であった
可能性が高いことが示唆されています。

そして家福の愛車をみさきが乗っていたのは、
家福が目の病気にかかってしまったことが明かされて
いますので、家福が愛車を手放し、それを譲る相手に
その大事さを理解してくれるみさきを選んだということなのでしょう。

母親を見捨てた罪の意識から頬の傷を消さなかったみさきの
頬から消えた傷は、
その罪と向き合い、解放され、自分の人生を生きることを意味しているのでは
ないでしょうか。

罪から逃げるように車を走らせて辿り着いた広島での暮らし。
でももう自由に好きな場所で自分の人生を生きていい。
新たな人生を好きな場所で迎えることにしたのです。

そしてみさきはその場所に
母親の故郷を選びました。

コンはみさきが韓国人の血が流れていることを
認識していて、ユンス夫妻はみさきを韓国の地に誘ったのかもしれません。

みさきの運転する車にユンス夫妻の愛犬が乗っていたのも
一緒に韓国へ渡り、コンの仕事を手伝うなど、
ユンス夫妻との関りが今も深いことを意味しているのだと
解釈しました。

【ドライブ・マイ・カー】を見て

失くしてしまったものは元には戻らない。
そんな喪失感と向き合うことは容易ではないですよね。

どんな風に対処すればいいのか、
そこに全ての人に有効な正解などはなく、
楽になる日ももう来ないのかもしれません。

それでも音が不思議な物語を家福に語って聞かせ、
翌朝、家福がその物語を再現することには
何かしらの意味があったのに違いないのです。

そうでもしなければ壊れてしまう自分と夫婦の関係
を守るように。

そして本当ならば家福と分かち合いたかった傷みを
物語を通して分かち合う真似事をしていたのでしょう。

しかし家福は音の裏切りを目の当たりにして
いつもの音の物語を翌朝、『覚えていない』と
再現しない日がやってきます。

それは家福にはいつもの物語りに
過ぎなかったのかもしれません。

でも、音にとっては、どうでもいいと言われたのと同じ。
拒絶であり、関係が壊れた瞬間
だったのではないでしょうか。

そして物語の続きも語られることはなかったのです。

自分の弱みや本音や暗いところをさらけ出すのは
難しい。

それでも、そうすることで助かる心はあるのだと
思いました。

家福もみさきも高槻も
その身に起きた喪失の大きさは計り知れないものです。

それでもラストでは
みさきは傷を消し、前を向いて明るい方へ向かっている
相棒と共に・・・。

そんな描写は希望であり救いを感じさせてくれるものでした。

みさきは家福を写す鏡のような存在であったのだと
思います。

だから家福もまた歩き出したのではないでしょうか。

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