咲江の足は事故で怪我?【三度目の殺人】の意味と真実をネタバレ考察

邦画
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福山雅治×役所広司×『そして父になる』の是枝裕和監督作品
【三度目の殺人】はご覧になりましたか?

弁護士と検事、加害者と被害者
それぞれの真実はどこにあるのか?

見応えのある本作ですが、
どの部分が本当なのか?といった核心部分は視聴者
次第になっています。

そこでこの記事では筆者の推測を交えて
以下の気になることについて綴っていきたいと思います。

・咲江の怪我の真相
・【三度目の殺人】タイトルの意味と真実を考察

に着目して推察しています。

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【三度目の殺人】あらすじ

法律事務所を構える重盛は元検察官の弁護士、摂津から
自身が担当する弁護人の減刑を勝ち取るために
助けて欲しいと頼まれる。

弁護人は三隅という男性で、30年前に殺人の前科があった。
今回の罪状は自身の務めていた食品会社社長を殺害したというもの。
自供もしており、このままでは極刑が免れないと思われた。

方策を練るため、三隅と接見する重盛だったが
供述は二転三転し、勝手に週刊誌の取材に応じて
重盛が聞いていなかったことを暴露する始末だった・・・。

キャスト
福山雅治、役所広司、吉田鋼太郎、満島真之介、
広瀬すず、斉藤由貴、市川実日子、橋爪功 

〖三度目の殺人〗は何で視聴できる?

U-NEXTなら書籍版もポイントで見れちゃいますよ。まずは無料トライアルがおススメです。

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以下、ネタバレを含みます。
未視聴の方はご注意ください。

本記事の情報は2024年6月時点のものです。
最新の配信状況は各サイトにてご確認くださいませ。

咲江の怪我の真相とは

咲江の足の怪我についてはどちらが本当のことだったのでしょうか。

川島が聞き込みをする中で、
咲江の足は生まれつき悪かったというのが真実で、
咲江自身は『屋根から飛び降りた際に怪我をした
と嘘をついているという解釈でした。

足の怪我の真実によって
咲江は嘘つきなのか違うのか?が問われることに
なります。

足の怪我は生まれつきか否か

そもそも咲江の足の怪我が生まれつきだとする主張は
誰がしたものなのか?

病院などの機関であるならばカルテなどが
厳密な証拠となるのでしょう。

しかし母親の証言だったとしたらそれは嘘の可能性が
高い
かもしれません。

要はなぜ屋根から飛び降りることになったのか?
がカギになると思うのです。

度重なる父親からの虐待。
見て見ぬふりをするばかりか、咲江にも責任がある
というトンでも発言をする母親。

誰も助けてくれない絶望感の中、
自ら命を絶とうとした可能性もありえます。

だとすれば見て見ぬふりが得意な
母親は自分の娘が自殺未遂をしたことなど
絶対に認めないでしょう。

それを隠すための嘘が
〖生まれつきの怪我〗であり、
真実は屋根から飛び降りた怪我の方なのではないでしょうか。

つまり、咲江は嘘つきではないという推察です。

そうすると、咲江の言う、
三隅が自分のために父を殺してくれた
という証言が真実なのかもしれません。

【三度目の殺人】の意味と真実を考察

弁護士たるもの弁護人の、利益こそが重要で、その人を理解して共感する必要はない
と語っていた重盛。

しかし、三隅の二転三転する供述、
何が本当のことなのかわからないその心情に惑わされ、
いつしか、誰よりも真実を追い求める人と化していきます。

三隅はなぜ供述をころころ変えるのか?
何が真実だったのか?

タイトルの意味とは

『三度目の殺人』とは、三隅の犯した罪の数です。

1度目は30年前の殺人。
2度目は食品会社社長の殺人。

そして3度目は自らを殺しました。

1度目の事件で三隅を取り調べた警察官は
三隅を『空っぽの器のような人間』だと
表しました。

それは自分の感情とか欲望が皆無である
ということなのでしょう。

それでも当初は減刑に向けて現れた重盛たちを前に
協力的のように見えた三隅。
しかし、
咲江を助けるためだけではなく、裁判官や検察など同じ船に乗る人の事情
そして三隅は有罪だと確信する他人の感情
をくみ取り、
人の感情を満たす器のような存在である三隅は
三度目の殺人への道を自ら選んでしまったのかもしれません。

最後の嘘

時には明かさない方が良い真実も存在する
それをくみ取った重盛は、
三隅の自供は強要されたものだという主張だと
知りながら、その裏にあるのは
娘のように思う咲江を救うためなのだと悟り
三隅の思惑にのってしまいます。

三隅が人の感情を満たす器なら、
この時、重盛もまた三隅の感情を満たす器になって
三度目の殺人に加担したと言えるのかもしれません。

しかし最後の最後まで三隅は人の器でした。
〖咲江のために供述を覆したのではないか?〗
という重盛の問いに対し、

『良い話ですね。本当のことなら・・・ね。』

と言って惑わせます。

もし咲江を庇うための嘘を容認したとなれば、
それは減刑できたはずの三隅を極刑にしたことに
等しいからです。

これは三隅が重盛の心中を察してついた優しい嘘なのでしょう。

真犯人の正体

劇中では被害者殺害の現場には被害者の娘である咲江と三隅の
姿があり、二人は頬についた血を拭う仕草をしていました。

本作のラストでは、三隅の極刑の判決が下されたあと、
重盛が同じ頬の血を拭うような仕草をしているのです。

そうするとこの仕草をしているのは人の死に加担した人
という描写なのではないでしょうか。

だとすれば、咲江はこの事件に無関係ではなかったもの
と推測できます。

被害者の弱みに付け込んで呼び出したと供述している三隅ですが
真実は、重盛が考えたように、クビにした人間の誘いにのるのは
少し違和感があり、呼び出したのは咲江だったのでは?と
思っています。

咲江は自分が父を殺したがっていることを三隅は理解していた
のは明確だと言いました。

自分が黙認すれば咲江は必ず父を殺めてしまう・・・。
そう考えた三隅はその役目を咲江の代りに、あるいは共に引き受けた
のでしょう。

つまり少なくともこの事件に関わっていたと言えるのは
むしろ咲江の方なのかもしれません。

三隅に関しては、単独で殺したという説は個人的には低いと
考えています。
三隅の誘いに社長が応じたというのが不自然だという台詞がある
ためです。

そう考えると、咲江も共犯であるか、むしろ三隅が咲江の罪を被った
という構図になるのかもしれません。

雪のシーンの象徴性

三隅と咲江、それに重盛が雪合戦をしているシーンがあります。

この場面が象徴しているのは、
手袋を一つずつ分けあって雪のボールを投げあった
三隅と咲江は共犯関係に値するということ。

それに加わる重盛は2人の狙いとおりの結末にむけて
その手助けをする者

であると同時に、三隅は自分のせいで傷つけてしまった娘を
咲江に重ね、咲江もまた本来の娘を思う父親の姿を
三隅に重ねたのです。

そこに加わる重盛もまた、現実では関係が悪化してしまった娘と、
良好な関係を築きたいという願望が現れたのでしょう。

真実とは何かを問う

この物語の真実は何だったのでしょうか。

本当は咲江が犯人なのかもしれない。
はたまた
重盛が犯人で間違いないのかもしれない。

しかしどちらが真実なのかは重要ではないのでしょう。

要は、
殺したいと思ったが、実行できなかった者と、
殺したいわけではないが、誰かを救うために実行した罪

そのどちらも背負う罪の意識に変わりはないのかもしれません。

同様に娘に対し卑劣な行いをしていた社長と、
娘の苦痛に見て見ぬふりをする母親

真実はと言えば、父親に罪があり、母親に罪はないのかもしれませんが、
家の中という空間で助けられる存在が母親だけだったのは明確なのです。

このように、助けることが出来るのに、
助けないのは同罪も同じことなのではないでしょうか。

しかしながら、仮に三隅は罪を犯していないと言う真実が
存在したとして、

けれどもその裏には、
苦しんでいる人の器となってしまい罪を犯すことが苦しい三隅
自分を裁くことを望んでいたとします。

咲江は何の落ち度もなかったのに、
あの父親を持ってしまったというだけで自ら命を絶とうとするまでに
絶望の毎日だったかもしれない。

けれどそんな父親が消えて、母親からも離れ、
その先には輝かしい未来がきっとある。

ただし、三隅の願いと咲江の未来は真実を隠せばこそ実現します。

その一方で、真実を隠したがゆえに
〖三度目の殺人〗は執行
されてしまいます。

真実とは何なのか?

『(真実なくして)誰が誰を裁くかは誰が決めるんですか?』

という疑問のように
人が人を裁くうえでは繊細で避けられない問題です。

と同時に誰しもが生きていく中で
もしかしたら一生真実には惑わされるはめになるのかもしれません。

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【三度目の殺人】感想

筆者は以前に本作を視聴していたのですが、
つい最近もう一度見てみて以前とは少し解釈が異なったので、
改めて考えさせられました。

裁判という船に弁護士、検察官、被告人など皆が乗っていて、
だからこそ、グレーという答えは存在しえない。

本作でも真実を語らない演出が
三隅が罪を犯したのかしていないのか、はたまた単独犯か
共犯がいるのか?
正直なところ、出せる答えは真実とは限りません。

それでも無罪か有罪という他人によって選ばれた選択で
運命が決まってしまう。

実際には『時間も予算もあるしね』
という具合に片づけられてしまうなんてことはない
と願いますが、
〖三度目の殺人〗が法によるものだったというオチによって
文字通り、真実を重視しないことが行き過ぎれば
殺人と称されることになり得るのは
本当に怖いことだなと感じました。

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