【ネタバレ考察】映画『白鍵と黒鍵の間に』の結末が意味不明な理由とは

邦画
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ジャズピアニスト南博氏のエッセイ
白鍵と黒鍵の間に -ジャズピアニスト・エレジー銀座編-
を映画化した
白鍵と黒鍵の間に

南博氏の役どころで主演し、実際に一部の曲の演奏も披露している
のは池松壮亮

本作は池松壮亮が1人2役に挑戦しており、
時系列や構成が難解だと話題になりました。

そういった事情から『意味がわかりにくかった』
というレビューも。

そこで本記事では、結末はどういう意味なのか?
あの場面は現実か?違うのか?などなど。

気になるシーンをどこよりも『ノンシャラント』な
一個人の解釈として解説、推察しています。

この記事のポイント
白鍵と黒鍵の間に』が意味不明な理由
結末のあらすじとラストシーンの考察

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『白鍵と黒鍵の間に』あらすじ

1980年代の日本でジャズピアニストを目指す南博はピアノ教師から、
演奏が硬すぎるという弱点を指摘される。

もっとNonchalantな肩の力を抜いた演奏をするべく教師から提案されたのは
キャバレーで演奏者として修業をしてくることだった。

早速銀座の店で演奏を担当した博だったが、
誰も真剣に演奏を聞いている客はおらず、
ジャズを弾きたい博は歌謡曲ばかりを要求された。

そんな中、周囲から『あいつ』と呼ばれる1人の男性が
『ゴッドファーザー愛のテーマ』
を弾いて欲しいとリクエストされる。

快く引き受け、演奏をした博だったが、
この曲は銀座を牛耳る熊野会長のテーマとされていた。

よって、熊野以外の人物のために弾くことはタブーであり、
演奏者も熊野会長のお気に入りのピアニストである南限定とされていたのだ。

銀座の掟を破ってしまった博の行く末は・・・⁈

キャスト
池松壮亮、仲里依紗、森田剛、crystal Kay、松松契、
佐野史郎、洞口依子、松尾貴史、高橋和也
 他

本家、南博氏の原作『白鍵と黒鍵の間に ~ジャズピアニスト・エレジー銀座編~』を読めば更に映画が楽しめます!

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以下、結末までのネタバレを含みます。
未視聴の方はご注意ください。

本記事の情報は2024年10月時点のものです。
最新の情報は各サイトにてご確認くださいませ。

映画『白鍵と黒鍵の間に』が意味不明な理由

そもそも原作はジャズピアニスト南博氏のエッセイなのです。

しかし本作は原作の軌跡をある一夜に集約しているため
時系列や構成が複雑なようです。

銀座の3年間を一夜にまとめた話である

本作の冒頭で、演奏が硬い南博は恩師からキャバレーで
〖ノンシャラント〗な演奏を学んでくるようにアドバイスを受けます。

そうしてキャバレー入りをした素直な南博の3年間が始まるのです。

初めてのキャバレーに翻弄されまだ右も左もわからない
ながらも夢を追い続けている博と、
時が経ち、すっかり高級クラブのピアニストとなった3年後。
その代わり夢は遠のいてしまったかに見える南

同一人物でありながら心に描くものが異なった
南と博の対立と選択の物語なのです。

そんな南博の葛藤の3年間を一夜に集約したのが
本作なのです。

それ故に、同じ場面に銀座に来たばかりの博
銀座のクラブを後にすることを決めた南
という同一人物でありながら別人格のような『南』と『博』が
登場するわけです。

南と博は同一人物という混沌

終盤でクラブを掛け持ちするまでに人気者になった南の
代役奏者として博が呼ばれるという場面がありました。

博は弾いてはいけない『あいつ』のリクエストを演奏してしまった
張本人ですが、熊野会長が登場すると、禁忌を犯した恐怖から、
弾いたのは自分ではなく『南』なのだと責任をなすりつけるのです。

そんな場面も、『南』と『博』が別人であるかのごとく
描かれ混乱の要因となっているのでしょう。

もちろんこれは鑑賞者の受け取り方次第で、例えば
『南』と『博』が別の人生を生きる、同一人物ではないという
解釈をしても面白いかもしれません。

それは現実か⁈幻想か⁈

博と共にキャバレーで演奏していたサックス奏者のK助
本物か?幻か?
解釈が分かれる人物ではないでしょうか?

キャバレー時代には存在したであろうK助ですが、
ゴミ置き場で再会し、言葉を交わすこともなく、
都合よく捨てられているピアノで無言のセッション
繰り広げる南とK助。

個人的には、
南にとってK助は、南があのキャバレーに置いてきてしまった
情熱の象徴
であり、
無言のセッションと、クラブでのデモテープ用の演奏に飛び入り参加した
K助は幻だったという解釈です。

結末のあらすじとラストシーンの考察

高級クラブ〖スロウリー〗の敏腕ピアニストである南は、
銀座を牛耳る熊野会長が『ゴッドファーザー愛のテーマ』
リクエストし、演奏することができる唯一の人でした。

そんな南は、音楽はBGMにすぎない高級クラブの奏者という立ち位置
に疑念を抱きながらもそつなく仕事をこなしていました。

その折、アメリカ人歌手のリサがやってきます。
しかしリサは南や他の演奏者とは違い、
自身の歌を真剣に聴かない客たちに不満を覚え楽屋に
引きこもってしまいます。

自身の音楽を主張したいリサに感化されたのか?
南はボストン留学するつもりだと千佳子に告げます。

ならばデモテープを録音した方がいい
とリサにアドバイスされ、クラブでの録音が始まります。

しかし熊野とあいつ、そして南のボストン留学を知ってしまった三木による
三つ巴の争いの結果、
熊野とあいつは三木によって殺され、都会の底へと落とされてしまいました。

それを目撃していた南も意識を失って、同様に落とされてしまったのです。

奈落の底のような都会の溝の底に落ちた南は
ホームレスになった自分と熊野とあいつの幻と対峙します。

そうしてそこから抜け出すと、南の目の前には
留学へ旅立つための書類を持った母の姿がありました。

全ては博の幻想だった⁈

この物語の全ては恩師のキャバレーへ行けというアドバイスにのっとって
銀座の世界へ迷い込んだ博が描いた幻想だったのかもしれません。

銀座での修行によってより美しい音色を奏でるジャズピアニストに近づける
という理想を描いていた博が見たものは、
音楽に対する世間の無関心なさまでした。

それでもその場に順応することを選び、
銀座を牛耳る熊野のお気に入り奏者、南となる未来もあり得ます。

しかしそこで待っているのは、その場しのぎの富と引き換えに
諦めの音楽を奏でることなのでしょう。

好きな曲で音楽の美しさを広めたいという願いは叶うことはありません。

さらに、熊野のお気に入りである南は、
熊野が不在になった場合でもその地位を確立し続けることは
約束されるのでしょうか?

当時の音楽がBGMの役割である以上、約束されなかった場合の
博の未来が都会の溝の底に落ちたホームレスなのです。

ラストの選択

熊野とあいつと共に落とされてしまった南はどうなったのでしょうか?

落とされた南の前には、殺されたはずの熊野やあいつが起き上がり
話し始める姿がありました。

このことから、南もまた熊野やあいつと同様に命を落としたのでは・・・

という解釈も出来そうですが、
2人は南が見た幻であり、恐怖と葛藤、疑念といった類の
象徴なのだと思うのです。

それらに打ち勝ち、その場から脱出する南は
富ではなく夢を選び、留学の地へ出発する
という最終選択をしたのではないでしょうか。

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『白鍵と黒鍵の間に』感想

池松壮亮さんの『南』と『博』の演じ分けが素晴らしかっただけに
この2人は同一人物なのか?何故1人2役なのか?
同時に存在するのか?と、頭が?だらけに陥りました。

それは南博という人生を描いた物語は、
いくつもの可能性を秘めていたということなのかもしれません。

あの時あの選択をしていたら
どんな自分になっていたのだろう?と思いを巡らせることは
ありませんか?

悪戦苦闘しながらも『自分』を形成していく人生は、
本作のように難解で不可思議で、でも可能性を秘めていると
言えるのでしょう。



最終的には南は今手に入る現実に甘んじることなく、
恐怖や困難がありながらも
新しさや希望に溢れた世界へと旅立つ結末を見いだしました。

南と博のいずれの人生においても常に、
本人の一部と言っても過言ではない『音楽』という
かけがえのないものがあり、不安がありながら
輝かしい未来への道へと後押ししてくれたのもまた
『音楽』であったと言えるのではないでしょうか。

多くの人生にも、理想や希望、夢といったクリーンで清らかな白鍵な部分と、
困難や葛藤、虚しさなどの暗い黒鍵の部分があるのでしょう。

その相反する喜びと苦悩は途絶えることなく入れ替わるように
訪れるのが人生であり、困難を乗り越えて更なる幸せへと上がっていくためには
自分の一部であり、情熱を持てる何かが強い味方になってくれるのかもしれません。

ともすれば、黒鍵は困難でありながらも成長には欠かせない段階であり、
本当に怖いのは、情熱も夢も失って、
白鍵と黒鍵の隙間に落ちて行ってしまうことなのではないでしょうか。

南博さんのような成功者にも実はホームレスになる未来の
可能性もあったかももしれない?(少々飛躍しすぎですが)、
と考えたら、困難な人生も生き甲斐がありますね!

自分の糧はどこにあるのか?
自身の人生を振り返りたくなる一作でした。

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